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『オーヴァードライブ』第三話


 由美の息の微かな感触が目の前にあって、僕はまっすぐに彼女の姿を眺めた。彼女は十六歳で、僕の友達の妹だ。陰影のある表情を浮かべ、静かな意思を有し、唇をまっすぐに結んでいる。恵比寿ガーデンプレイスのふもとにあるカフェで、僕たちは座っていた。春休みの温かな日差しが、冷たい風に混ざりこみ、僕と由美の体をすり抜けている。時々、うねりをあげて、風たちは僕たちの会話から音を奪い去っていく。
 天気は穏やかとは言えないものの、悪くはなかった。温かな日差しがあって、風が時折強かった。
 このデートを提案したのは、友人の幸一で彼女の兄にあたる。僕たちは大学の同級生で、二人とも二十歳だった。
 デートと言っても、由美は僕へ愛情を抱いているというわけではなかった。彼女の愛している男性はもっと違うところへ居て、その愛は成果としてかたちを成すまでにまだ時間がかかる種類のものだった。
 由美の恋愛の相手は、予備校の先生だ。品川にある小さなスクールの国語の先生。年齢は三十歳で、妻子はいないらしかった。そのシチュエーションを聞いて、盲目的な愛を思い浮かべる人もいるだろう。良くある話なのかもしれない。ある年齢の女の子が、年上の教師に恋をする。しかし、由美は賢い女の子だ。はっきりとその目で、愛のかたちを見据えている。その愛を成功させることが、最終的にどのようなかたちをしていて、どのような色をしているのかを、彼女はおそらく知っているのだろう。
「デモンストレーションとしてのデート」と僕は言った。彼女は笑って、頷いた。
「湊さんと一緒にいる時間は本当に楽しいです。様々な話を聞くことができるし、私が浮かびあがってくる感想というものには、彩りを与える意見を言ってくれます」
「恋は、時として如何ともしがたいものになる。持て余す感情となって、君の心に表面から侵入し、内奥を占拠してしまうことだってある。迷っているのなら、行動に移すといいのかもしれない。予行演習として、今日のデートは成功するだろうね。現に、君は素敵な女の子で、僕は君の姿に見とれてしまうことだってあった。続きは夢のなかで踊って、その先生と時間を過ごすことができるかもしれない」
 由美は明るい目をして、僕を見つめた。彼女の瞳孔には太陽の光と何か別の正しいものを含んでいた。結果として温かい眼差しとなって、僕の目と交わっている。僕は笑った。かわいい女の子と時を過ごしているのにうってつけの笑顔をしてみせた。
カフェで会計を払って、僕たちはガーデンプレイスの映画館へ行って、そこでひと時を過ごした。映画館の暗がりは、二人のあいだに集積として親密な空間を生み出している。コマーシャルを映し出されているスクリーンが光となって、僕たちの姿に色を織り成す。
由美、と短く彼女の名前を言ってみた。彼女は僕の目を見た。柔らかな表情が、映画の光と混じりあって、僕の心に届く。由美の手はするりと、僕の手の上に重なった。温かな体温が、その白い手を通して伝わってきた。
 ふと、彼女はその恋愛を通して、温もりを失っていくのかもしれないな、と僕は思った。何故ならそれはありきたりの話で、最後にはたいてい失敗が付きまとって来る。相場は決まっているのだ。彼女はその局面になって、感情の立て直しを迫られ、結果としてまたひとつ成長を重ねる。
 先生との恋。良くある話だ。全国どこの都道府県へ行っても、この手の話があったり、こういったシチュエーションを経験した女の子は少なくはないだろう。
 彼女の場合、その結果はどうなるのだろうか。僕は少し心配になった。
 映画は終わって、僕たちはその感想を話し合い、時間を過ごした。江古田が彼女の住まいだったので、僕は池袋まで電車に乗って彼女を送った。池袋のささやかなマンションが僕の住居だった。やがて遠ざかって行く彼女の後姿を見て、僕は小さなため息をついた。  デートは成功だ。メールで彼女の兄である直太郎にその旨を報告した。その言葉の返信として、彼の大きな感謝があった。
 愛を抱くというには、明るい感情を生むこともあれば、暗いものへ変じることもある。池袋で馴染みの喫茶店へ入って、ミックスグリルとホットコーヒーを注文した。その喫茶店には、あまり客がいなかった。いつもはもっと客がいるのだけど。僕はウィンストンの煙草を取り出して、吸った。
 由美から携帯に電話が入ったので、僕は取った。とりとめのない話をいくつかして、僕が電話を切ろうとしたときに彼女は言った。「日を違って、もう一度、デートがしたいです。気持ちは湊さんにあるというわけじゃありません。れっきとして、愛は別のところにあります。今、この電話で何を言っているのか私にも良く分かりませんが、今日はとても楽しいものでした。次回のデートの開催について、湊さんは少し考えておいてください」
 僕は携帯電話の通話を切って、テーブルの上に置いた。携帯電話はしっとりとその色を放っていることを除いて、携帯電話としてのあるべき質量を失っていた。喫茶店の中央のテーブルには、ネオンテトラの青とディスカスの赤が揺れていた。
 ミックスグリルの海老を食べ、ハンバーグを口に運ぶ。彼女の抱いている世界について、ささやかな気持ちを抱く。
 僕の名前は湊圭一。二十歳の経済学部の大学生。詩を書いていて、インディーズの音楽アーティストに歌詞を提供したり、ブログにアップしている。僕の詩には、女の子の意識というものが必要だった。若い、女の子の恋が混ざって、僕の詩は一段と深みをますことだろう、と僕は思った。僕はしばらくのあいだ、恋というものをしておらず、そこに生じる感情の温かさは既に忘れ去ってしまっていたのだ。
 二十歳。世間から見ると、若い年齢と言っても差し支えがない、しかし、由美の十六歳はもっと若かったし、僕はその頃の感性というものを失ってしまっていた。食事を終えて、僕は何も掴んでいない両手を眺める。十六歳の頃の僕はいったい何に夢中だったのだろうか。店内にはジャズ・ミュージックがかかり、その音が耳に入って来て、神経によく馴染む。古い音楽だろうな、と僕は思う。煙草に火を点けて、その時間が潜んでいるものを見据える。僕は深呼吸をする、ジャズの音に身を浸す。思考が向こうのところへいってしまい、静謐な雰囲気が醸成されていく。僕はノートを取り出して、その静謐を言葉にし、詩として書き出す。

長編小説ブログ『OasisNoel2015』からの転載です。http://blog.livedoor.jp/oasisnoel2015/
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<2016/07/15 22:48 Murakami.Lia>消しゴム
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