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『オーヴァードライブ』第三話


パソコンで僕は自分のブログ『オーヴァードライブ』にアクセスし、彼女に渡した。彼女は、リンクを辿って、ある詩編に辿り着く。『雨のなかで』という詩だった。
「この『雨のなかで』という詩は特に私の心を惹きました。雨は陰鬱で、めんどうくさいというぐらいにしか思っていなかったですから。色鮮やかに雨がそこでは表現されていて、命の恵みというところに繋がっています。発想が良いし、素晴らしいです」
 ありがとう、僕は短く言って、笑った。この詩は確か高校生時代に書いたものだったな、と僕はその頃の情景を細かく思い出していた。記憶はところどころ欠落を生じていたが、僕の置かれている状況は、今よりもずっとシンプルなものだった。
 高校三年生の受験生だった。栃木に住んでいた。僕は女の子に恋をしていた。そういった言葉に、僕の人生の過去はあった。
「『雨の中で』僕らは探し物をしているのかもしれない。傘じゃないし、ルームキーでもない。部屋には差しあたって入ることができるというのに、家には帰る気分じゃない。帰ってみても、孤独が待っているだけだからね。僕らは探し物をする。思いがけない何かを求めて、降りしきる雨の街へ繰り出す。この詩を作った時期には、同級生の恋人がいたんだよ。かわいい女の子だった、特筆するものは何もない女の子だったけどね。ここに出て来る女の子は、彼女の影で作り出されている」
 由美は笑って僕の詩を読み、彼女の心に届いている何かを見つめている。
「僕は詩を書いているけど、それは自分自身のためというポイントが大きい。詩を書くことによって、自分がいったい何を考えているのか整理する。この部屋で、たくさんの詩を書いて、出来の良いものはブログへ転載する。出先ではノートを取ったりもしている。授業中に、アイデアをひねり出すこともある。レトロ・フィーチャーの歌詞を書く時は、コーヒーをたっぷり真夜中に飲んで、その真夜中の時間の独特な流れ方とともに言葉を練る。朝方には、それが出来上がっていて、今ではメロディーに乗って、詩は音楽としての需要になっている。経済とは何の関係もないよ。大学で習っている経済学は大がかりなもので、僕が提供しているものはささやかなものに過ぎない。マクロもなく、ミクロもない。ケインズやトマス・ピケの本も関係がない。興味のないことを僕は大学で学んでいる。成績は悪くない。だけど、商社マンや銀行員には向いていないと思う。僕は文学部に進むべきだったかもしれないな」
 彼女は頷いた。コーヒーを飲み、僕の目を見た。瞳の奥には、穏やかな感情が映っていた。
「湊さんって、素敵な恋をしてそうだと思います。感受性は確かだし、女の子へのエチケットも完璧です。独自の生き方というものがあって、揺るぎのないものとなっている」
「話をするほど、昔に感情は持っていないよ。さっきも言ったように恋人がいる時期もあった。受験生時代や大学の一年生に入ってすぐの話だけど、別に大して興味を抱くほどでもない。愛して、セックスをして、ベンチに座ったり、お菓子を食べながら時間を過ごした。やがて色々なことがやがて面倒くさくなっていくんだ。彼女の声なんて聞きたくなくなったし、関係を成立させ続けることが難しくなっていった。二回の恋は揃ってバッドエンドだった。後には何も残らなかった、詩を別にしてね。そんなところかな。教唆するものもない。別に特別な出来事ではなかった、良くある話で、何の感興も浮かび上がってはこない、今となってはね」
 いつの間にか時刻は夕方の六時に指しあたっていた。僕は料理を作って、彼女をもてなした。ポークソテーと、デミグラスソースを溶かし込んだハヤシライス風の野菜のスープ、少量のライスはリゾットにした。
 由美は喜んで、その料理を食べ、感想を僕に伝えた。親密な空気が広がっていく。僕は由美の表情の光を見つめ、彼女の美しさの際立ちを認める。彼女はすうっと、僕に体を寄せて目を閉じる。ゆっくりと時間を掛けて、体の温もりを交換し合っていく。彼女の体はやがて小刻みに震えを持って、顔をうつむけ出した。
 彼女は突然涙を流し始めた。感情が堰を切ったかのように、表出し、彼女の声は哀しいものとして嗚咽する。僕の部屋は次第に温度を失っていき、冷たくなっていった。
「それでも、私、あの先生のことが好きです。どうしようもないぐらいに」ぽつりと言った。
 僕はその言葉の白い部分を見て、静かに二回頷いた。彼女は混乱していた。頭の中が真っ白なのだ。
 彼女の涙が静かに止まるまで、僕はじっと待った。体はこわばり、硬直した感情を持て余す。マンションの一室は、音を取り去ったかのように静かで、僕たちの魂の行く末を受け止め、押しとどめていた。スクリーンセーバーとして眠っているパソコンは、光を失っている。
「その先生の名前はいったい何と言うんだい?」
「朽木浩平。情熱的で、分かりやすい授業が好評の国語の先生。髪の色は抜いていて、小さなダイヤのピアスをしています。結婚してしまって、決まった人がいるというのに、私にも手を差し伸べてくれます。寝たいというのは私の考え過ぎなのかもしれません。しかし、結局のところは、私と寝たいのかもしれませんね。デートへ行って、どんなに楽しい思い出を作っても、その思い出は最後に行き場所を失ってしまう。どうして私をデートに誘ったりするのだろう? 分からないのです。彼からその話を受けた時、私は複雑な心境になってしまいました」
「もし、そのことが露見してしまったら、世間や所属の予備校から彼はバッシングを受けて、講師の職を解くことになるかもしれない。君はまだ高校生の女の子に過ぎない。世間の目というものは、時として冷たく、例外を探し求め、記事にする。ニュースにだってなりうる、展開次第では。良いかい? その話に乗ってはいけない。君がまずすることは予備校を変えることだね。彼のことはすっかり忘れて、違う生活をスタートさせるんだ」
 作った料理はすべて胃の中に入れて、僕は時計を見た。七時を回っていた。パソコンでレトロ・フィーチャーの曲をコピーして、複製のCDを作った。彼らは二枚のオリジナルアルバムをインディーレーベルから出している。僕は彼らに詩を提供して、一年になる。僕だって、レトロ・フィーチャーの一員になっているのだ。彼らのイベント活動は功を奏して、メジャーデビューの話も持ち上がっている。いくつかのレーベルが手を挙げている。しかし、彼らは冷静だった、焦ってはいなかったし、着実に歩を進めていくということを念頭に置いている。
 彼らにとって、レトロ・フューチャーはまだ始まったばかりなのだ。
「駅まで送って行くよ」僕はCDを手渡して、立ち上がった。
「ありがとうございます。ひとつお願いがあるのです」
 僕は目を細めて、由美を見つめた。
「先生のことを兄に伏せておいて欲しいのです。兄がこのことを知ったら、先生に実力行使をするかもしれません。兄はとても怒りっぽいし、喧嘩っはやいのです。知ってしまえば、事態はずっとややこしいものになってしまうでしょう。本当にニュースへなってしまう」
 僕はその申し出を了解した。知らなくて良いものだって、時にはある。
「恋ってどうしてこんなにももどかしいのでしょうね。綺麗な恋愛の終わり方って私は知らないです。私は十六歳で、世間のことなど知らない、ただの高校生の女の子。無理もないことなのかもしれません」
「そういったことが分かるには、もう少し年齢を重ねる必要があるのかもしれない。総体としての理解には辿りつかなくても、何かが分かることもある、それがいったい何であるのかということをね」
 マンションを出ると、夜はその存在感を増して、慄然とあった。常夜灯が、無言の光を投げかけ、冷たい空気が流れている。僕は最寄りの駅まで、彼女を送って、コンビニエンスストアで買い物をし、部屋に戻った。
 シャワーを浴びて、ビールを飲み、煙草を一本吸った。オーディオにセットして、ファットボーイスリムのアルバムを流した。その音楽が終わってしまうと、僕はレトロ・フィーチャーのアルバムをデッキに入れて、彼らの音楽に耳を傾け、詩作に入る。思考と経験は、僕の体のなかにあって、情景を言葉に移し替えて、鋭さを付け足していく。
 出来上がった詩を更新する。ブログ『オーヴァードライブ』には、約二百の詩編が存在する。僕のブログは、写真を入れることがなかった。あくまで、言葉だけでインターネットユーザーに訴える。
 最新作のタイトルは『遠ざかっていたもの、抱いていたもの』という名前で、力強い単語によって、短い感情をいくつか込めた。
 パソコンをオフにして、歯を磨き、テレビのニュース番組を少し観てから、ベッドへ入って眠りに落ちた。夢はなく、静けさと溶け合ったような眠りがそこにはあった。

<2016/07/15 22:57 Murakami.Lia>消しゴム
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