夜道。
電灯の頼りない光を頼りに、サンダルをペタペタ鳴らしながら、彼女、北野伊織は歩いていた。
季節にしては、やたらと薄ら寒い風が吹く。
夏の生温い風もだが、夏に寒い風なんて、不快でしかないな。
少し顔を顰めながら、彼女は、カップ麺が大量に入ったビニル袋を片手に思った。
ここ数年、人間界では、魔界との武力戦争が相次いでいた。
これ即ち、ヒトと魔物の『境界』の奪い合いである。
境界とは、魔界と人間界の狭間にある世界のことだ。小さな世界ではあるが、どういう原理か、この小さな小さな豆世界は、エネルギーに満ち満ちている。
魔界と人間界、相容れぬ存在とはいえ、このふたつはあってないようなものだった。
それが、なぜ?
答えは単純、両世界が、この境界を欲しがったためである。
そして、戦争が始まったのだ。
ここ 学院都市は、そんな境界に最も“近い”とされているため、隔離されている。
そして、魔界の侵攻を防ぎ、不思議な力で魔族を鎮圧する“魔術師”の、世界最高峰の育成機関、【魔族制圧学院】。人呼んで魔学院のある都市でもある。
この都市に住んでいる人々は、必ず魔学院に在学している(というか魔学院以外の学校がないので、そうするしかない)。
魔学院は、全種族の頂点に値する最強の種族・魔女から、魔界最底辺の下僕であり、この世界にすら五万と溢れかえる悪魔まで、様々な魔を討伐している。
そして、その魔女や悪魔が占領していた土地を奪還するのも、魔学院生の仕事だ。
それなのに。
それなのに、今日も、何も起こらなかった。
…いや、実際、私のいない所でから、何でも起こっていると知っている。
先ほどのニュースでは、悪魔3体の捕縛が成功した。
昨日のニュースでは、魔女なんたらの魔力の痕跡をデータとして割り出した。
一昨日のニュースでは、魔学院の現役生にして最強の彼が、魔族討伐数10,000を超えた。
先週の悲報で、それなりに仲がよかった近所の魔学院生が死んだ。
でも、もう飽きた。
そんな話、全く心が動かない。
そんな自分にも、飽き飽きだ。
…機会さえあれば。
機会さえあれば、私は喜んで壊してあげるし、創ってあげるのに。
そう思って、溜息を吐いた。
伊織は、とある理由から、16という歳でありながらも、学院に通っていなかった。
よって、その 心動かされる ことにも触れる機会など全くなく、
彼女は今日も、禁忌とされている23時以降の外出を、平然とやってのけるのだ。
風が強く鳴る。また薄ら寒い風だ。心なしか、気持ちがざわめく。
不審に思いながらも、あ、洗濯物乾いてるかな…と主婦のようなことを考え、家に戻ろうと足を動かした瞬間。
「…!!!」
ドッッと不自然な風が吹いて、夜食の入ったビニル袋が、ガサガサと音を立てた。刹那、すぐ後ろの建物が、轟音と共に崩れ去り、自分の立っていた所まで白煙が迫ってきた。
咳込みながら、砂が入って気持ちが悪いサンダルを ザリッと踏み鳴らせば、異形の化け物が姿を現す。
「…っは…」
思わず、笑いが出た。
化け物は、身長は4メートル以上で、猫背。
細身で、腕なんて骨のように細いのに、その手には大きくて鋭い、爪のような、鎌のような、大きな大きな武器が備えられていた。
どう見ても、人間ではない。
というかさっきからニクゥニクゥとうるさい。聴覚的にも確定できる。完全に人間ではない。
「……あらあら…」
––––––これは、悪魔だ。
やけに冷静に分析する頭。ゴキブリは死ぬ間際になるとI.Q300を超えるというが、果たして自分はどうなのだろうか、と少し興味が出る、だがすぐに捨て去った。
目の前の化け物に、同情する。
『ガァァ、ア゛、アアアア、ニグゥ、ウゥゥゥウ』
「…なに?」
『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛! ! !』
最早言葉を成さない、ただの叫び声に、彼女は顔を顰める。
もうひとつ、短く叫んで、化け物は目にも留まらぬ速さで、自分との距離を詰めてくる。そして、その嫌になる程大きな武器を、これまた大きく、大きく、思いっきり振りかぶった。
伊織は、何をするでもなく、ただその光景を眺めるだけだった。
ガィィンという、黒板を爪で引っ掻いた時のような、そんな不快な音を耳で飼い慣らしながら、思い出す。
悪魔は、人間を捕食することもある、脅威的な存在だ。
だが異形型の悪魔は、自分の形も満足に操れないほど、力の依り代 則ち魔力が小さい。
鼻が悪く、耳が遠く、感覚が鈍く、だがしかし、目が良い。
だから、鼻が悪くても見えれば大丈夫だと
耳が遠くても、見えるから大丈夫だと
感覚がなくとも、見えるから大丈夫だと
…悪魔は、自分の目を過信している。
–––––人間と、“そうじゃないもの”の区別ができない–––––
『……ア゛? ?』
伊織は、目の前の馬鹿を見て、ほくそ笑む。
悪魔は、間抜けな音を発して、自分と女との間にできる“壁”に、首を傾げた。
ガツン、とその“壁”を叩く。ガツガツと、叩く。
ガンガンガンガンと、叩く。ガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガン。
こわれない?
こわれない。
その事実を知った瞬間、悪魔は意味もなく叫び散らした。
何故?何故、何故ナゼ何故!自分は確かにこの女の体を裂いたはずなのにこの女は何故生きている何故死んでいない何故笑う何故何故何故何故何故!!
『ア゛、ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!!!!』
「うるさい」
『ッヴ、…ガ、ア゛?』
「うるさい。黙りなさい」
この女の言葉が、自分に重たくのしかかる。
…何故、自分は黙ろうとする?自分のことを従わせることができるのは、いや、それだけではない、自分の力を避けられるのは、同族か、魔女だけだというに。
魔女、魔女…?ま、じょ。まじょ。魔女。
…魔女?
形を成さない膝が、ガクガクと戦慄いた気がした。
『ア゛、ア゛ア゛ア゛…ア゛ア゛ア゛ア゛……!!』
「ねえ、貴方…誰に刃を向けているのかしら?」
伊織は、怪しく不敵に笑うだけだった。
彼女が学院に通っていない理由。
そして、悪魔が彼女に攻撃をできない理由。
–––––––それは、彼女が魔女だから。
電灯の頼りない光を頼りに、サンダルをペタペタ鳴らしながら、彼女、北野伊織は歩いていた。
季節にしては、やたらと薄ら寒い風が吹く。
夏の生温い風もだが、夏に寒い風なんて、不快でしかないな。
少し顔を顰めながら、彼女は、カップ麺が大量に入ったビニル袋を片手に思った。
ここ数年、人間界では、魔界との武力戦争が相次いでいた。
これ即ち、ヒトと魔物の『境界』の奪い合いである。
境界とは、魔界と人間界の狭間にある世界のことだ。小さな世界ではあるが、どういう原理か、この小さな小さな豆世界は、エネルギーに満ち満ちている。
魔界と人間界、相容れぬ存在とはいえ、このふたつはあってないようなものだった。
それが、なぜ?
答えは単純、両世界が、この境界を欲しがったためである。
そして、戦争が始まったのだ。
ここ 学院都市は、そんな境界に最も“近い”とされているため、隔離されている。
そして、魔界の侵攻を防ぎ、不思議な力で魔族を鎮圧する“魔術師”の、世界最高峰の育成機関、【魔族制圧学院】。人呼んで魔学院のある都市でもある。
この都市に住んでいる人々は、必ず魔学院に在学している(というか魔学院以外の学校がないので、そうするしかない)。
魔学院は、全種族の頂点に値する最強の種族・魔女から、魔界最底辺の下僕であり、この世界にすら五万と溢れかえる悪魔まで、様々な魔を討伐している。
そして、その魔女や悪魔が占領していた土地を奪還するのも、魔学院生の仕事だ。
それなのに。
それなのに、今日も、何も起こらなかった。
…いや、実際、私のいない所でから、何でも起こっていると知っている。
先ほどのニュースでは、悪魔3体の捕縛が成功した。
昨日のニュースでは、魔女なんたらの魔力の痕跡をデータとして割り出した。
一昨日のニュースでは、魔学院の現役生にして最強の彼が、魔族討伐数10,000を超えた。
先週の悲報で、それなりに仲がよかった近所の魔学院生が死んだ。
でも、もう飽きた。
そんな話、全く心が動かない。
そんな自分にも、飽き飽きだ。
…機会さえあれば。
機会さえあれば、私は喜んで壊してあげるし、創ってあげるのに。
そう思って、溜息を吐いた。
伊織は、とある理由から、16という歳でありながらも、学院に通っていなかった。
よって、その 心動かされる ことにも触れる機会など全くなく、
彼女は今日も、禁忌とされている23時以降の外出を、平然とやってのけるのだ。
風が強く鳴る。また薄ら寒い風だ。心なしか、気持ちがざわめく。
不審に思いながらも、あ、洗濯物乾いてるかな…と主婦のようなことを考え、家に戻ろうと足を動かした瞬間。
「…!!!」
ドッッと不自然な風が吹いて、夜食の入ったビニル袋が、ガサガサと音を立てた。刹那、すぐ後ろの建物が、轟音と共に崩れ去り、自分の立っていた所まで白煙が迫ってきた。
咳込みながら、砂が入って気持ちが悪いサンダルを ザリッと踏み鳴らせば、異形の化け物が姿を現す。
「…っは…」
思わず、笑いが出た。
化け物は、身長は4メートル以上で、猫背。
細身で、腕なんて骨のように細いのに、その手には大きくて鋭い、爪のような、鎌のような、大きな大きな武器が備えられていた。
どう見ても、人間ではない。
というかさっきからニクゥニクゥとうるさい。聴覚的にも確定できる。完全に人間ではない。
「……あらあら…」
––––––これは、悪魔だ。
やけに冷静に分析する頭。ゴキブリは死ぬ間際になるとI.Q300を超えるというが、果たして自分はどうなのだろうか、と少し興味が出る、だがすぐに捨て去った。
目の前の化け物に、同情する。
『ガァァ、ア゛、アアアア、ニグゥ、ウゥゥゥウ』
「…なに?」
『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛! ! !』
最早言葉を成さない、ただの叫び声に、彼女は顔を顰める。
もうひとつ、短く叫んで、化け物は目にも留まらぬ速さで、自分との距離を詰めてくる。そして、その嫌になる程大きな武器を、これまた大きく、大きく、思いっきり振りかぶった。
伊織は、何をするでもなく、ただその光景を眺めるだけだった。
ガィィンという、黒板を爪で引っ掻いた時のような、そんな不快な音を耳で飼い慣らしながら、思い出す。
悪魔は、人間を捕食することもある、脅威的な存在だ。
だが異形型の悪魔は、自分の形も満足に操れないほど、力の依り代 則ち魔力が小さい。
鼻が悪く、耳が遠く、感覚が鈍く、だがしかし、目が良い。
だから、鼻が悪くても見えれば大丈夫だと
耳が遠くても、見えるから大丈夫だと
感覚がなくとも、見えるから大丈夫だと
…悪魔は、自分の目を過信している。
–––––人間と、“そうじゃないもの”の区別ができない–––––
『……ア゛? ?』
伊織は、目の前の馬鹿を見て、ほくそ笑む。
悪魔は、間抜けな音を発して、自分と女との間にできる“壁”に、首を傾げた。
ガツン、とその“壁”を叩く。ガツガツと、叩く。
ガンガンガンガンと、叩く。ガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガン。
こわれない?
こわれない。
その事実を知った瞬間、悪魔は意味もなく叫び散らした。
何故?何故、何故ナゼ何故!自分は確かにこの女の体を裂いたはずなのにこの女は何故生きている何故死んでいない何故笑う何故何故何故何故何故!!
『ア゛、ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!!!!』
「うるさい」
『ッヴ、…ガ、ア゛?』
「うるさい。黙りなさい」
この女の言葉が、自分に重たくのしかかる。
…何故、自分は黙ろうとする?自分のことを従わせることができるのは、いや、それだけではない、自分の力を避けられるのは、同族か、魔女だけだというに。
魔女、魔女…?ま、じょ。まじょ。魔女。
…魔女?
形を成さない膝が、ガクガクと戦慄いた気がした。
『ア゛、ア゛ア゛ア゛…ア゛ア゛ア゛ア゛……!!』
「ねえ、貴方…誰に刃を向けているのかしら?」
伊織は、怪しく不敵に笑うだけだった。
彼女が学院に通っていない理由。
そして、悪魔が彼女に攻撃をできない理由。
–––––––それは、彼女が魔女だから。
