久しぶりに目覚めのいい朝だった。
しかもまだ誰も起きていないし、昨日のような悪夢も見ていない。
顔を洗ってリビングへのドアを開く。
「……!」
一瞬、窓から射す陽光で視界が揺らいで網膜に見慣れた自宅のリビングの風景が現れた。
しかし、刹那の瞬きに、その懐かしい光もどこかへと行ってしまった。
何が起きたのか思考が吹き飛びかけたが、カレンダーを見て一人口ごもる。
「……ホームシック……か」
思い出せば、自宅のリビングに堂々と居座っていた全体が紅いフォルムのテレビに愛しささえ感じる。無駄な機能が省かれ、必要不可欠の文字を具現化したようなあのテレビは俺のお気に入りだった。新番組の初回だけ撮り忘れる事なんてあり得ないし、最終回も取り逃がした事はない。
物に愛くるしさを感じるなんて、かなり重度みたいだ。
「やぁ、早いね」
「お前こそな」
背後には俺を養って……泊めてくれているエヴェレットが立っていた。
落ち着いた性格とは裏腹に寝癖が目立つ。
この家に来てからもう三日は経過した。これが修学旅行ならば名残惜しさの感傷に浸っていたかもしれない。
でも、俺にとってはこの三日間が物凄くセンチメンタルジャーニーだ。センチメンタルジャーニーし過ぎてもう地球を3周くらいはしているのではないだろうか。
「夜があれだけ遅かったのに、どうして眠気に苛まれていないんだい?」
「引きこもりにとっちゃ、あんなのはまだまだ序の口だよ。いい子は九時に寝ろって言うけど、生憎俺は悪い子なんでね、最後に九時に寝たのが思い出せねぇな。……そんで、カイリの様子はどうだ?」
「……昨日から相変わらずさ、まだうなされているよ。まさか一番活発に見える彼女があそこまで体力がないなんて……人は見た目じゃわからない」
「ま、その方があいつにとっても良いのかもな。横になってるだけでも多少は特訓になる」
そう、カイリは昨日の夕方あたりにぶっ倒れた。
その時俺と一葉は買い物に行っていたので、エヴェレット一人で介抱していたらしい。
どうやら、初めてその身に掛かる負荷に耐えられなかったんだろう。今の今まで宙に浮いて、あらゆる物理法則を無視してきたカイリにとって、重力の重さと筋肉痛は耐え難いものだった。
うろ覚えだから、正しい知識を持ち合わせてはいないが、地球上では月の重力の六倍の負荷がかかる。月の重力と無重力の比率は知らないが、宇宙から帰還した宇宙飛行士も、どれだけ筋肉があってもいきなり常時六倍の重力にはなす術がない。
カイリの肉体がどれ程軽くても、普通に考えて六倍の負荷域の中で一日を過ごすというのはかなり頑張った方なんだと思う。
……まぁ、その所為で今は少し力を入れるだけでも言葉にならない悲鳴が聞こえてきて、流石にあいつが不憫に思えてくる。
「……ああ、そうだ。君に渡したいものがあったんだった」
エヴェレットはそう言って、ポケットから四つ折りの紙を一枚取り出した。
すぐに渡さない辺り、きっと重要な話なのかもしれない。
そして、俺とエヴェレットとやり取りで目を覚ました一葉が、エヴェレットが用意していたパジャマのまま二人の間に立つ。
そして寝ぼけているのか、眼鏡がなくて見えないのか、じっと前を見たまま頭をさげる。
「……おはよう、ございます」
「おい、そこには誰もいねぇぞ」
「そうですか……? ではおはようございます」
「おはよう、よく眠れたかい?」
「あれ、先輩が他人に対して気遣うなんて珍しいですね」
「それはエヴィーだよ、それにさらっと俺の事をディスってんじゃねぇ」
エヴェレットの方を向いて挨拶をした一葉の頭に背後から軽く手刀を入れる。「あう」と言って頭を押さえた。そしてそのまま手で口元を押さえて生欠伸をした。
仮にも中三の女子が朝からそんな無防備で良いのかよ。
話の道筋を正す。
「それで? なんだよ見せたいものって」
「……変に行ってもしょうがないか、……君がいた世界で君の幼馴染を殺した犯人の顔写真だよ」
「……なんでそれを俺に?」
エヴェレットは咳をして、一呼吸置いた。
「今更だけど、君が幼馴染に会うということは、この殺人鬼とも顔を合わせる必要がある。いや、絶対に顔を合わせることになる。もちろん、君の幼馴染もだ。……君がやろうとしている事は、幼馴染、殺人鬼、君がいる状況下でのみ成立する。無論、他の状況でもやり直せはするけど、君にとってそれが必要十分条件だよ」
「…………マジか」
「…………マジだよ」
「どうすれば良いってんだよ、そんな状況で。明らかに不利じゃねぇか」
「そんな事はないよ、やりたいようにやればいい。……相手の殺人鬼を殺しても、ね」
「……やらねぇよ、殺らねぇよ。……でもまぁそん時は、お前を頼るからな」
「悪いが、それは出来ない」
唐突な拒絶に言葉を失う。
できるだけの協力をすると言っていたはずだ。簡単には受け入れられないし、納得出来ない。
何より、幼馴染を助ける為に諦められない。
「僕の役目はオブザーバーだよ、篠村くん。唯、観察するだけだ。物理的な助けを提供する事はできないんだ。……最も、アドバイスならいくらでもあげるよ。でも、僕が解決の手段に関わる事はない。僕に希望を託すつもりなら、無駄な足掻きだよ。所詮は希望論だ」
無責任で投げやりな態度に、一葉が眉をひそめる。
エヴィーから投げつけられた言葉に俺の心が揺らぐ事はもうない。
「所詮は希望論……か」
顎に手を当てて、その直後にニヤリと笑う。
なんだろう、こうも清々しく、図々しくいられるのは実に久しぶりの事だ。
「……なら、お前の言う『所詮』を、俺が『絶対』にしてやるよ」
こうしてはっきりとエヴィーと対立出来るのはなんとも気分がいい。
俺の自信に満ちた宣告を、エヴィーはしょうがないといった顔つきでふっと笑い飛ばす。
「出来るのなら、ぜひ、そうしてもらいたいね」
「ああ、やってやるよ、エヴェレット・タイムライン! その観察者としての目を、俺が濁らせてやる」
俺とエヴェレットは二人して笑い出す。
一葉は状況が飲み込めずに視線が俺とエヴェレットの間を右往左往する。俺だってよく分からない。
でも、可笑しくてたまらない。
今更な結論にどうしてもっと早くたどり着かなかったんだろう。
失敗ばかり恐れていた頃を思い出すと、あの頃は塞ぎ込んでいたんだなと客観的になれる。
成功を信じて未来の話をするのが、こんなに楽しいとは思わなかった。
ただの未成年の戯言だ。誰の許しも請う必要はない。責任を感じるなよ、未成年は周りに迷惑かけんのが仕事だ。好き放題にやればいい、その為なら誰だって振り回してみせる。
「……それで、君に渡したい写真はこれだよ。ほら、どうぞ」
しかし、その写真を開いて、俺の表情は再び曇ることとなった。
一葉が覗き込んで「いかにもって顔ですね」と一言。
脳内の映像が再生される。絶対にそうだ。見間違えることなんてない。
俺が知っている顔だった。
「こいつは……」
*
カッカッ、とローファーが地面を叩く音だけが耳に入る。
あの日も見た、後ろ姿。
あれだけ決意を固めて、助けると誓ったのに、足が動かない。
その踏み出す一歩を手伝ってくれたのは、俺の後輩。此花一葉。
俺たち二人から数メートル先を歩くのは、俺の幼馴染。神居筑也。火縄理沙。
そして、今一歩を踏み出して声をかける寸前の俺。篠村京士郎。
ついでにエヴェレット・タイムライン。多分家にいる。
この五人の物語が、俺の発声と共に再生される。
「私はちゃんと見てますから、頑張って下さい、先輩!」と一葉が俺の背中を押す。
「ちゃんと、君が納得できる可能性を選ぶんだ」と若干頼りないエヴェレットは俺の背中を押す直前で玄関のカーペットにつまづいて転んだ。
俺は苦笑しながら「これもお前は予測してたのかよ」と聞くと、下を向いたまま「……その……通りだよ……?」と呟いた。きっとエヴェレットが知らなかった必然的な事だったんだろう。
忘れていたけれどカイリ。
家を出る直前に声をかけたけれどそれどころじゃないらしい。筋肉痛に顔を歪ませる奴を見るのは俺にとって喜ばしい事だった。俺の日頃のストレスの大部分がそれで精算された気がした。
出る時にエヴェレットが最後に言った言葉を思い出した。
「一言に平行世界と言っても、解釈は多様だよ。君は、無限にある可能性の中の、ただ一つの可能性を垣間見ているに過ぎない」
「……じゃあ、その可能性を俺が正しい未来へ、俺が望む明るい未来に導いてくれば良いんだな」
口は開いている。
その勢いのまま、二人の背中に言葉をぶつけた。
「……おい、誰かと思ったら筑也と理沙じゃねぇか。久しぶりだな」
そして、いきなりの乱入者に振り返り驚く顔に、ここ最近で一番の笑顔をくれてやった。
睨んでしまわないように。
*
公園のベンチに二人を残して近場のコンビニまで駆け足。
俺は、いたって普通だった。
すると、コンビニまから出たところで暇をつぶしていたのかラックに漫画の単行本を戻した一葉が喋りかけてきた。
「……どうでした? 仲直りは出来ました?」
その問いかけに、俺はなんとも言えない微妙な表情で答える。
「まぁ、出来たっちゃ出来た。自分でも落ち着きすぎだってくらいすんなりことが運ぶし、昨日までの苦労なんだったんだろうな」
「え? と言うと……」
一葉の顔の前に人差し指を一本立てる。
自分でもおっかなびっくりの展開だった。全然予想通りじゃなかったし、俺が恐れていたことなんて起こる可能性は皆無に等しかったように思えてくる。
「いや、案外普通だった。……って言うか、俺そもそも二人が死んだってニュースだけで死体とか見たわけじゃねぇから、全部が全部妄想だった、みたいな感じだ。二人がどんな死に方したかとか、本当に死んでたのかすら確認しようとしなかったから、ありもしない事勝手に想像して自分の中で被害妄想がどんどん膨れてっただけだったっぽい」
「……そうですか」
一葉は拍子抜けしたあと、俯いてしまう。
あれだけ周りに心配させておいて、結局は簡単な事だった。
「よかったですね、と言えば良いんですか?」
「ああ、そんな感じだな。迷惑かけてすまなかった、以後キヲツケルワ」
「……じゃあ」
一葉が顔をめっちゃ赤くして俺を睨みつける。
あ、なんかこいつが何言いたいのかわかる気がする。
「昨日のあれは! 無駄だったって事ですよね⁉︎ …………あぁぁ、嫌だぁ思い出したくない黒歴史を作る羽目になるなんてぇ」
「いやいや、まさか。助かったぜー、感謝してる、涙流してまで人を勇気付けるってああいう事なんだな。いやぁ、学ばせてもらったよ」
「ほじくり返さないでくださいよ!」
一葉は納得いかないのか、それとも羞恥心が勝ったのか、非力な腕で叩いてくる。
一応言っておくが、感謝しているのは本当に本当だ。実際、一葉がいなかったら外にすら出ようとしなかったはずだ。
俺は恥ずかしさで顔を覆う一葉の頭を軽く叩くと、これが昨日とは逆の状況だという事に気づいて、小さく笑った。
その時だ。俺達に近づいてくる存在に気づいたのは。
パーカーを羽織り、まだ夕方だというのに寒さ対策万全の格好で顔を隠している。オレンジ色の夕焼けが、その人物を真横から照らして濃い暗い影を作る。
その影の下の口が、笑った。
見覚えがある、いや、今朝写真を見せて貰ったばかりだから知らない訳がない。
まだ生きている、生かさなきゃいけない幼馴染を殺した殺人鬼。メガネを外すと、こう言った。
「やっぱり、リア充ってのは見てるだけで腹が立つな」
その聞き覚えのある声に、戦慄を覚える。
俺は、一葉に小さい声で語りかけ、足を静かに踏み込んだ。
「おい、逃げるぞ」
「……え?」
「殺人鬼だ」
俺はレジ袋の中の菓子を一つ手に取ると、封を開けて中身を殺人鬼に向かってぶちまけると同時に一葉の手を引いて走り出した。
「喰らえ! マーブルチョコ!」
「……っ! 卑怯じゃねぇか…………俺もだけどよぉ」
殺人鬼は10m遅れてポケットから防衛用のスタンガンを手に握った。
……くそっ! どうしてこんな事になる! 筑也に頼まれてたマーブルチョコがー‼︎
取り敢えず、走りながらスマホでエヴェレットに救援のメールを送る。
背後を振り返るが、殺人鬼は一進一退で追ってくる。
こうなったら、一か八かの賭けだ。元の世界で二人が殺されたあの廃材置き場に行くしかない。
夕日が沈む前にこいつをどうにかしねぇと、暗くなってからじゃどうしようもねぇし!
これ終わったらまたあのコンビニにマーブルチョコ買いに行かなきゃいけねぇじゃんかよ‼︎
しかもまだ誰も起きていないし、昨日のような悪夢も見ていない。
顔を洗ってリビングへのドアを開く。
「……!」
一瞬、窓から射す陽光で視界が揺らいで網膜に見慣れた自宅のリビングの風景が現れた。
しかし、刹那の瞬きに、その懐かしい光もどこかへと行ってしまった。
何が起きたのか思考が吹き飛びかけたが、カレンダーを見て一人口ごもる。
「……ホームシック……か」
思い出せば、自宅のリビングに堂々と居座っていた全体が紅いフォルムのテレビに愛しささえ感じる。無駄な機能が省かれ、必要不可欠の文字を具現化したようなあのテレビは俺のお気に入りだった。新番組の初回だけ撮り忘れる事なんてあり得ないし、最終回も取り逃がした事はない。
物に愛くるしさを感じるなんて、かなり重度みたいだ。
「やぁ、早いね」
「お前こそな」
背後には俺を養って……泊めてくれているエヴェレットが立っていた。
落ち着いた性格とは裏腹に寝癖が目立つ。
この家に来てからもう三日は経過した。これが修学旅行ならば名残惜しさの感傷に浸っていたかもしれない。
でも、俺にとってはこの三日間が物凄くセンチメンタルジャーニーだ。センチメンタルジャーニーし過ぎてもう地球を3周くらいはしているのではないだろうか。
「夜があれだけ遅かったのに、どうして眠気に苛まれていないんだい?」
「引きこもりにとっちゃ、あんなのはまだまだ序の口だよ。いい子は九時に寝ろって言うけど、生憎俺は悪い子なんでね、最後に九時に寝たのが思い出せねぇな。……そんで、カイリの様子はどうだ?」
「……昨日から相変わらずさ、まだうなされているよ。まさか一番活発に見える彼女があそこまで体力がないなんて……人は見た目じゃわからない」
「ま、その方があいつにとっても良いのかもな。横になってるだけでも多少は特訓になる」
そう、カイリは昨日の夕方あたりにぶっ倒れた。
その時俺と一葉は買い物に行っていたので、エヴェレット一人で介抱していたらしい。
どうやら、初めてその身に掛かる負荷に耐えられなかったんだろう。今の今まで宙に浮いて、あらゆる物理法則を無視してきたカイリにとって、重力の重さと筋肉痛は耐え難いものだった。
うろ覚えだから、正しい知識を持ち合わせてはいないが、地球上では月の重力の六倍の負荷がかかる。月の重力と無重力の比率は知らないが、宇宙から帰還した宇宙飛行士も、どれだけ筋肉があってもいきなり常時六倍の重力にはなす術がない。
カイリの肉体がどれ程軽くても、普通に考えて六倍の負荷域の中で一日を過ごすというのはかなり頑張った方なんだと思う。
……まぁ、その所為で今は少し力を入れるだけでも言葉にならない悲鳴が聞こえてきて、流石にあいつが不憫に思えてくる。
「……ああ、そうだ。君に渡したいものがあったんだった」
エヴェレットはそう言って、ポケットから四つ折りの紙を一枚取り出した。
すぐに渡さない辺り、きっと重要な話なのかもしれない。
そして、俺とエヴェレットとやり取りで目を覚ました一葉が、エヴェレットが用意していたパジャマのまま二人の間に立つ。
そして寝ぼけているのか、眼鏡がなくて見えないのか、じっと前を見たまま頭をさげる。
「……おはよう、ございます」
「おい、そこには誰もいねぇぞ」
「そうですか……? ではおはようございます」
「おはよう、よく眠れたかい?」
「あれ、先輩が他人に対して気遣うなんて珍しいですね」
「それはエヴィーだよ、それにさらっと俺の事をディスってんじゃねぇ」
エヴェレットの方を向いて挨拶をした一葉の頭に背後から軽く手刀を入れる。「あう」と言って頭を押さえた。そしてそのまま手で口元を押さえて生欠伸をした。
仮にも中三の女子が朝からそんな無防備で良いのかよ。
話の道筋を正す。
「それで? なんだよ見せたいものって」
「……変に行ってもしょうがないか、……君がいた世界で君の幼馴染を殺した犯人の顔写真だよ」
「……なんでそれを俺に?」
エヴェレットは咳をして、一呼吸置いた。
「今更だけど、君が幼馴染に会うということは、この殺人鬼とも顔を合わせる必要がある。いや、絶対に顔を合わせることになる。もちろん、君の幼馴染もだ。……君がやろうとしている事は、幼馴染、殺人鬼、君がいる状況下でのみ成立する。無論、他の状況でもやり直せはするけど、君にとってそれが必要十分条件だよ」
「…………マジか」
「…………マジだよ」
「どうすれば良いってんだよ、そんな状況で。明らかに不利じゃねぇか」
「そんな事はないよ、やりたいようにやればいい。……相手の殺人鬼を殺しても、ね」
「……やらねぇよ、殺らねぇよ。……でもまぁそん時は、お前を頼るからな」
「悪いが、それは出来ない」
唐突な拒絶に言葉を失う。
できるだけの協力をすると言っていたはずだ。簡単には受け入れられないし、納得出来ない。
何より、幼馴染を助ける為に諦められない。
「僕の役目はオブザーバーだよ、篠村くん。唯、観察するだけだ。物理的な助けを提供する事はできないんだ。……最も、アドバイスならいくらでもあげるよ。でも、僕が解決の手段に関わる事はない。僕に希望を託すつもりなら、無駄な足掻きだよ。所詮は希望論だ」
無責任で投げやりな態度に、一葉が眉をひそめる。
エヴィーから投げつけられた言葉に俺の心が揺らぐ事はもうない。
「所詮は希望論……か」
顎に手を当てて、その直後にニヤリと笑う。
なんだろう、こうも清々しく、図々しくいられるのは実に久しぶりの事だ。
「……なら、お前の言う『所詮』を、俺が『絶対』にしてやるよ」
こうしてはっきりとエヴィーと対立出来るのはなんとも気分がいい。
俺の自信に満ちた宣告を、エヴィーはしょうがないといった顔つきでふっと笑い飛ばす。
「出来るのなら、ぜひ、そうしてもらいたいね」
「ああ、やってやるよ、エヴェレット・タイムライン! その観察者としての目を、俺が濁らせてやる」
俺とエヴェレットは二人して笑い出す。
一葉は状況が飲み込めずに視線が俺とエヴェレットの間を右往左往する。俺だってよく分からない。
でも、可笑しくてたまらない。
今更な結論にどうしてもっと早くたどり着かなかったんだろう。
失敗ばかり恐れていた頃を思い出すと、あの頃は塞ぎ込んでいたんだなと客観的になれる。
成功を信じて未来の話をするのが、こんなに楽しいとは思わなかった。
ただの未成年の戯言だ。誰の許しも請う必要はない。責任を感じるなよ、未成年は周りに迷惑かけんのが仕事だ。好き放題にやればいい、その為なら誰だって振り回してみせる。
「……それで、君に渡したい写真はこれだよ。ほら、どうぞ」
しかし、その写真を開いて、俺の表情は再び曇ることとなった。
一葉が覗き込んで「いかにもって顔ですね」と一言。
脳内の映像が再生される。絶対にそうだ。見間違えることなんてない。
俺が知っている顔だった。
「こいつは……」
*
カッカッ、とローファーが地面を叩く音だけが耳に入る。
あの日も見た、後ろ姿。
あれだけ決意を固めて、助けると誓ったのに、足が動かない。
その踏み出す一歩を手伝ってくれたのは、俺の後輩。此花一葉。
俺たち二人から数メートル先を歩くのは、俺の幼馴染。神居筑也。火縄理沙。
そして、今一歩を踏み出して声をかける寸前の俺。篠村京士郎。
ついでにエヴェレット・タイムライン。多分家にいる。
この五人の物語が、俺の発声と共に再生される。
「私はちゃんと見てますから、頑張って下さい、先輩!」と一葉が俺の背中を押す。
「ちゃんと、君が納得できる可能性を選ぶんだ」と若干頼りないエヴェレットは俺の背中を押す直前で玄関のカーペットにつまづいて転んだ。
俺は苦笑しながら「これもお前は予測してたのかよ」と聞くと、下を向いたまま「……その……通りだよ……?」と呟いた。きっとエヴェレットが知らなかった必然的な事だったんだろう。
忘れていたけれどカイリ。
家を出る直前に声をかけたけれどそれどころじゃないらしい。筋肉痛に顔を歪ませる奴を見るのは俺にとって喜ばしい事だった。俺の日頃のストレスの大部分がそれで精算された気がした。
出る時にエヴェレットが最後に言った言葉を思い出した。
「一言に平行世界と言っても、解釈は多様だよ。君は、無限にある可能性の中の、ただ一つの可能性を垣間見ているに過ぎない」
「……じゃあ、その可能性を俺が正しい未来へ、俺が望む明るい未来に導いてくれば良いんだな」
口は開いている。
その勢いのまま、二人の背中に言葉をぶつけた。
「……おい、誰かと思ったら筑也と理沙じゃねぇか。久しぶりだな」
そして、いきなりの乱入者に振り返り驚く顔に、ここ最近で一番の笑顔をくれてやった。
睨んでしまわないように。
*
公園のベンチに二人を残して近場のコンビニまで駆け足。
俺は、いたって普通だった。
すると、コンビニまから出たところで暇をつぶしていたのかラックに漫画の単行本を戻した一葉が喋りかけてきた。
「……どうでした? 仲直りは出来ました?」
その問いかけに、俺はなんとも言えない微妙な表情で答える。
「まぁ、出来たっちゃ出来た。自分でも落ち着きすぎだってくらいすんなりことが運ぶし、昨日までの苦労なんだったんだろうな」
「え? と言うと……」
一葉の顔の前に人差し指を一本立てる。
自分でもおっかなびっくりの展開だった。全然予想通りじゃなかったし、俺が恐れていたことなんて起こる可能性は皆無に等しかったように思えてくる。
「いや、案外普通だった。……って言うか、俺そもそも二人が死んだってニュースだけで死体とか見たわけじゃねぇから、全部が全部妄想だった、みたいな感じだ。二人がどんな死に方したかとか、本当に死んでたのかすら確認しようとしなかったから、ありもしない事勝手に想像して自分の中で被害妄想がどんどん膨れてっただけだったっぽい」
「……そうですか」
一葉は拍子抜けしたあと、俯いてしまう。
あれだけ周りに心配させておいて、結局は簡単な事だった。
「よかったですね、と言えば良いんですか?」
「ああ、そんな感じだな。迷惑かけてすまなかった、以後キヲツケルワ」
「……じゃあ」
一葉が顔をめっちゃ赤くして俺を睨みつける。
あ、なんかこいつが何言いたいのかわかる気がする。
「昨日のあれは! 無駄だったって事ですよね⁉︎ …………あぁぁ、嫌だぁ思い出したくない黒歴史を作る羽目になるなんてぇ」
「いやいや、まさか。助かったぜー、感謝してる、涙流してまで人を勇気付けるってああいう事なんだな。いやぁ、学ばせてもらったよ」
「ほじくり返さないでくださいよ!」
一葉は納得いかないのか、それとも羞恥心が勝ったのか、非力な腕で叩いてくる。
一応言っておくが、感謝しているのは本当に本当だ。実際、一葉がいなかったら外にすら出ようとしなかったはずだ。
俺は恥ずかしさで顔を覆う一葉の頭を軽く叩くと、これが昨日とは逆の状況だという事に気づいて、小さく笑った。
その時だ。俺達に近づいてくる存在に気づいたのは。
パーカーを羽織り、まだ夕方だというのに寒さ対策万全の格好で顔を隠している。オレンジ色の夕焼けが、その人物を真横から照らして濃い暗い影を作る。
その影の下の口が、笑った。
見覚えがある、いや、今朝写真を見せて貰ったばかりだから知らない訳がない。
まだ生きている、生かさなきゃいけない幼馴染を殺した殺人鬼。メガネを外すと、こう言った。
「やっぱり、リア充ってのは見てるだけで腹が立つな」
その聞き覚えのある声に、戦慄を覚える。
俺は、一葉に小さい声で語りかけ、足を静かに踏み込んだ。
「おい、逃げるぞ」
「……え?」
「殺人鬼だ」
俺はレジ袋の中の菓子を一つ手に取ると、封を開けて中身を殺人鬼に向かってぶちまけると同時に一葉の手を引いて走り出した。
「喰らえ! マーブルチョコ!」
「……っ! 卑怯じゃねぇか…………俺もだけどよぉ」
殺人鬼は10m遅れてポケットから防衛用のスタンガンを手に握った。
……くそっ! どうしてこんな事になる! 筑也に頼まれてたマーブルチョコがー‼︎
取り敢えず、走りながらスマホでエヴェレットに救援のメールを送る。
背後を振り返るが、殺人鬼は一進一退で追ってくる。
こうなったら、一か八かの賭けだ。元の世界で二人が殺されたあの廃材置き場に行くしかない。
夕日が沈む前にこいつをどうにかしねぇと、暗くなってからじゃどうしようもねぇし!
これ終わったらまたあのコンビニにマーブルチョコ買いに行かなきゃいけねぇじゃんかよ‼︎
