今俺が下野と対峙する理由はもうほとんど本来の目的からそれてしまっている。
以前は「幼馴染を殺人鬼のてから遠ざけて救う事」。遠ざけた後、奴と対峙しようとしたのは幼馴染の確実な安全を確保するため。奴は自分を危険にさらす存在を、又は気分でターゲットを決める。なら、二人が再び標的にされてもおかしくは無い。だから下野を逮捕させるために対峙する必要があった。
けど、今は。
「出会って間も無い後輩の一葉を助ける事」が最優先だ。知らない誰かがいなくなるのは気にしないタチだ。けれど、実際にそこにいた事実を知っていると、いなくなった際にやはり空白を感じる。
あちら側が俺をどう思っているかは知らないが、俺にとってはこの短期間で随分と大きな存在になった。それは決して恋愛感情の類ではなくて俺が一葉に寄せる信頼の大きさだろう。俺が長い間振り払っていた手を引いて勇気をくれた。
恩を仇では返したく無いのだ。身近な存在の喪失をもう二度と味わいたく無い。
だから、身近な存在の涙が、俺は嫌いだ。こぼれるのは、笑みだけで充分だ。
ようやくたどり着いた……いや、誘導されてついた下野の根城は郊外にある廃工場だった。ドラマでよくある展開だと思って侮っていたが、実際のところ人は寄りつかないのが事実だ。本当に目的が無い限り訪れる意味が無い。観光ではあり得ない。地元の人でも私有地、馴染みが無いetc……の理由で誰も来ない。何の工場か、危険性を理解した上で無いと入ろうとは思わない。
お巡りさんも巡回のパトロールも、許可なしには入れない。それこそ、やむを得ない事情が無い限り。
その敷地は案外広いもんで、中も綺麗だ。人が住むと、例えそこがどんな場所でも綺麗に感じる。どこかで聞いた言葉をそのまま具現化したような場所だ。
工場の奥には、ガムテープで口を封じられ、手足も縛られている一葉が泣きそうな表情で俺に視線で助けを求めてくる。
その俺たちの間には下野が道を塞ぐように立っていた。ニヤニヤとずっと笑っていて気持ち悪い。
カイリは全力速の逃亡でもうほぼ戦力にはならない。
やっぱり奴の狙いは俺だった。
「さぁ、我が根城へようこそ。あの時からお前とゆっくり話がしたいと思ってたんだよなぁ。邪魔するものは何も無い、せいぜいくつろいでってくれよぉ〜?」
俺たちは完全に奴の手のひらだ。悔しいが、ここは奴の言う事に従わざるをえない。
逆上させないよう刺激しないように問いかけてみる。
「……俺はきっとここまで連れてこられた、んだよな。いくらなんでも逃げた先に人質がいるなんて虫が良すぎる」
ひとまず隠れよう、で隠れた先で連れて行かれた人質を発見する。奇跡にも思えるが、決して安心できるような状況では無い。人質がいるという事は人質を連れてきた人物にとっても馴染みのある場所なのだ。俺は最初警戒して近づかなかったのが正解だった。
下野は残念だったと言わんばかりに、足元のブルーシートをめくり上げる。そのブルーシートで隠された場所には綺麗な丸い穴が空いていた。もしも発見した勢いで走って行っていたら、落ちていた。以前は工場に必要だったであろう深い影が覗く。この遠さから深さはわからないが、きっと、2m以上はある。そんな簡単に逃げられるような穴を、奴が選ぶわけがなかった。
「……はぁぁ、落ちなかったのは残念だ。けど、連れてこられたっていうのは正解だ。人間ってのは本気で逃げている時には逃げる以外の事が浮かばない生き物なんでね、鬼ごっこと同じでそれを利用させてもらった」
「それで追いつかないようなスピードで走ってたのかよ……!」
「ああ、それもある……けどな、逃げる側はとにかく距離を開けようと意識するんだ。十字路に差し掛かった時に鬼が道の左側を走っていたら右折したくなる。また逆も然りだ……直進させたい場合は一気に距離を詰めてひたすら前に追いやる。……これだけで望んだ方向に人は進んでくれるって、わけ」
そう言って奴は一本の鉄パイプを足元に転がしてくる。
「さ、話は終わりだ。それを拾え」
これで戦えと言っているらしい。
練習に使っていたバットと同じ長さの鉄パイプは予想より少し重い。
エヴェレットが危惧していた事は当たっていた。道具を扱う訓練をしておいて本当に良かった。まぁ、近接で奇襲的な技を繰り出すのも、相手が武器を隠し持っていない前提でしか通用しない。
結果的に、今は一葉を救出出来ればそれが一番だ。
「どうして、俺なんだよ。家にいたあのクウォーターでも良かったじゃねぇか」
「あ? まともにやって勝てない相手に挑んだって仕方ないだろうが。むしろ、あれだけ見くびっていたような奴に反抗されて、みすみす見逃すわけがない」
見たところでは、下野は武器を何も所持していない。
リーチがある分こっちのほうが有利なはずだ。
「なら、早く終わらせてやるよっ‼︎」
先手必勝と踏み込んで奴に向かって大振りのスイング。
だが、それを紙一重で避けられる。
そして、下からすくい上げるように突き上げる。
奴は避けるだけで一向に反撃してこない。
当たらない。どれも全て空を切るだけ。
「おいおい……そんなんじゃ擦り傷もできないぞ。もっと本気でこいよぉ」
「ふざっけんなっ! 俺はっ、お前のせいで人生狂わされてんだよっ‼︎」
地形を鑑みて奴の左側へ。逃げ場のない方向へ追い込む。
突き。薙ぎ。振りかぶり、振り下ろす。
足りない。
一度大振りをかわされた勢いのままにもう一度距離を詰めて縦に降ろす。
目くらましだとか他のことを考えている余裕はない。とにかく次から次に手を打たないと逆にやられてしまいそうになる。
それこそ、目の前にいる相手は余裕の表情でむしろこの時状況を楽しんでいる風に見えるから余計に作業が雑になる。
「てめぇに幼馴染殺されて、そのせいで最悪なまま終わりになって、挙げ句の果てには何も関係のない後輩を巻き込んでっ……いい加減、俺に関わるんじゃねぇよ‼︎」
「あーあーそうかそれは悪かった……なっ!」
鉄パイプを掴まれて動きを止められる俺の脇腹に下野の鍛錬された蹴りが入り、4mほど背後に蹴り飛ばされる。
「……うぐっ!」
「……情けねぇなぁ、助けに来た先輩がこんなんじゃぁぜ〜ったいにあの娘は助からないなぁ」
下手に接客しかしていない弱々しい体に、蹴りの衝撃と苦痛が鋭く残る。
下野は、俺から取り上げた鉄パイプを再び俺の目の前に転がした。
傷一つ付いていない鉄パイプに、笑われているような気がした。
「っつうか、俺はお前なんかの幼馴染なんざ殺した記憶はねぇよ。学生は狙ったら騒がれやすいからなぁ、いなくなっても影響のない奴だけしか殺ってないんだわ」
鉄パイプを手に握り立ち上がるが、蹴りのダメージでまともに踏ん張れそうにない。
同時に及びようのない力の差と平気で同種を手にかける狂人への恐怖で、手先に震えが走る。情けないが、今は鉄パイプを握ることで震えを相殺するのが精一杯だ。
「もっと手応えがあると思ったんだが……とんだ期待外れだったな」
「……期待…外れなら、あいつだけは逃がしてやってくれよ……標的は、俺なんだろ?」
「…………敵に向かって許しを請うことこそ、もっと期待外れだっつってんだよ‼︎」
助走をつけた奴の蹴りが、まともに頭に入り視界が眩む。
まともに立つ力が入らない。
市内での全速力走、今の争いで、体力はとうに残っていない。
息切れのせいで視界がぼやけて下野の虚像が歪む。
それでも立ち上がれるのは、まだ、諦めていないからで。諦めるわけにはいかないわけで。
ここから先は、言い訳も諦めも無しだ。
「……っつはぁ、はぁ……期待に応えるなんて……誰が言ったってんだよ……。他人に勝手に役目を振るのも、期待に応えられないのも、全部っ……期待が大き過ぎるせいだろうが‼︎」
足元の鉄パイプを下野に向かって投げつける。
そして近くに転がっているもう一つの鉄パイプを速攻で拾い、下野が避けた先を読んで足元を狙う。
「よぉっし! いい動きだ、だがなぁっ!」
鉄パイプ日本を使った奇襲も、防がれる。振りかぶった鉄パイプを下野は両手で受け止める。
鉄パイプを振りほどかせようと、力を込める。
下野がそれに順応して更に鉄パイプを握る力を強める。
「……やっぱり俺の本分は、奇襲なんだな」
「はぁ? なんだよいきな……うぉっ!」
鉄パイプを支点にして奴の頭に蹴りを入れる。あまり効果はない。蹴りを入れた状態のまま、下野の肩に体重をかけて一気にもう一方の足で奴の首を挟みそのまま奴のバランスを奪う。
まともな受身も取れないまま地面に叩きつけられる。腕に走る激痛を無理矢理耐え、そのまま下野を締め落とす体勢に入る。
「……こ……クソガキが……あっ」
下野の動きが鈍くなる。
腕の力を一層強くする。
下野を締め落とす事に精一杯になっていた俺は、下野の腕の動きにまで、気を回すことができなかった。
下野の腕が素早く動く。上着の内ポケットに入った手が取り出したものが認識出来なかった。いや、認識出来たとしても、反応できることは出来なかった。
「このままっ……目を覚ますな……っ!」
「……く…あ」
下野が取り出したナイフが、夕陽を受けてオレンジ色に染まり、反射した陽光が俺の視界を燦然と照らした。
その刹那、目前で煌めいていたはずのナイフは、いつの間にか下野の首を締める俺の腕へと突き立てられていた。
経験したことのない感覚が、一瞬で体を支配する。
以前は「幼馴染を殺人鬼のてから遠ざけて救う事」。遠ざけた後、奴と対峙しようとしたのは幼馴染の確実な安全を確保するため。奴は自分を危険にさらす存在を、又は気分でターゲットを決める。なら、二人が再び標的にされてもおかしくは無い。だから下野を逮捕させるために対峙する必要があった。
けど、今は。
「出会って間も無い後輩の一葉を助ける事」が最優先だ。知らない誰かがいなくなるのは気にしないタチだ。けれど、実際にそこにいた事実を知っていると、いなくなった際にやはり空白を感じる。
あちら側が俺をどう思っているかは知らないが、俺にとってはこの短期間で随分と大きな存在になった。それは決して恋愛感情の類ではなくて俺が一葉に寄せる信頼の大きさだろう。俺が長い間振り払っていた手を引いて勇気をくれた。
恩を仇では返したく無いのだ。身近な存在の喪失をもう二度と味わいたく無い。
だから、身近な存在の涙が、俺は嫌いだ。こぼれるのは、笑みだけで充分だ。
ようやくたどり着いた……いや、誘導されてついた下野の根城は郊外にある廃工場だった。ドラマでよくある展開だと思って侮っていたが、実際のところ人は寄りつかないのが事実だ。本当に目的が無い限り訪れる意味が無い。観光ではあり得ない。地元の人でも私有地、馴染みが無いetc……の理由で誰も来ない。何の工場か、危険性を理解した上で無いと入ろうとは思わない。
お巡りさんも巡回のパトロールも、許可なしには入れない。それこそ、やむを得ない事情が無い限り。
その敷地は案外広いもんで、中も綺麗だ。人が住むと、例えそこがどんな場所でも綺麗に感じる。どこかで聞いた言葉をそのまま具現化したような場所だ。
工場の奥には、ガムテープで口を封じられ、手足も縛られている一葉が泣きそうな表情で俺に視線で助けを求めてくる。
その俺たちの間には下野が道を塞ぐように立っていた。ニヤニヤとずっと笑っていて気持ち悪い。
カイリは全力速の逃亡でもうほぼ戦力にはならない。
やっぱり奴の狙いは俺だった。
「さぁ、我が根城へようこそ。あの時からお前とゆっくり話がしたいと思ってたんだよなぁ。邪魔するものは何も無い、せいぜいくつろいでってくれよぉ〜?」
俺たちは完全に奴の手のひらだ。悔しいが、ここは奴の言う事に従わざるをえない。
逆上させないよう刺激しないように問いかけてみる。
「……俺はきっとここまで連れてこられた、んだよな。いくらなんでも逃げた先に人質がいるなんて虫が良すぎる」
ひとまず隠れよう、で隠れた先で連れて行かれた人質を発見する。奇跡にも思えるが、決して安心できるような状況では無い。人質がいるという事は人質を連れてきた人物にとっても馴染みのある場所なのだ。俺は最初警戒して近づかなかったのが正解だった。
下野は残念だったと言わんばかりに、足元のブルーシートをめくり上げる。そのブルーシートで隠された場所には綺麗な丸い穴が空いていた。もしも発見した勢いで走って行っていたら、落ちていた。以前は工場に必要だったであろう深い影が覗く。この遠さから深さはわからないが、きっと、2m以上はある。そんな簡単に逃げられるような穴を、奴が選ぶわけがなかった。
「……はぁぁ、落ちなかったのは残念だ。けど、連れてこられたっていうのは正解だ。人間ってのは本気で逃げている時には逃げる以外の事が浮かばない生き物なんでね、鬼ごっこと同じでそれを利用させてもらった」
「それで追いつかないようなスピードで走ってたのかよ……!」
「ああ、それもある……けどな、逃げる側はとにかく距離を開けようと意識するんだ。十字路に差し掛かった時に鬼が道の左側を走っていたら右折したくなる。また逆も然りだ……直進させたい場合は一気に距離を詰めてひたすら前に追いやる。……これだけで望んだ方向に人は進んでくれるって、わけ」
そう言って奴は一本の鉄パイプを足元に転がしてくる。
「さ、話は終わりだ。それを拾え」
これで戦えと言っているらしい。
練習に使っていたバットと同じ長さの鉄パイプは予想より少し重い。
エヴェレットが危惧していた事は当たっていた。道具を扱う訓練をしておいて本当に良かった。まぁ、近接で奇襲的な技を繰り出すのも、相手が武器を隠し持っていない前提でしか通用しない。
結果的に、今は一葉を救出出来ればそれが一番だ。
「どうして、俺なんだよ。家にいたあのクウォーターでも良かったじゃねぇか」
「あ? まともにやって勝てない相手に挑んだって仕方ないだろうが。むしろ、あれだけ見くびっていたような奴に反抗されて、みすみす見逃すわけがない」
見たところでは、下野は武器を何も所持していない。
リーチがある分こっちのほうが有利なはずだ。
「なら、早く終わらせてやるよっ‼︎」
先手必勝と踏み込んで奴に向かって大振りのスイング。
だが、それを紙一重で避けられる。
そして、下からすくい上げるように突き上げる。
奴は避けるだけで一向に反撃してこない。
当たらない。どれも全て空を切るだけ。
「おいおい……そんなんじゃ擦り傷もできないぞ。もっと本気でこいよぉ」
「ふざっけんなっ! 俺はっ、お前のせいで人生狂わされてんだよっ‼︎」
地形を鑑みて奴の左側へ。逃げ場のない方向へ追い込む。
突き。薙ぎ。振りかぶり、振り下ろす。
足りない。
一度大振りをかわされた勢いのままにもう一度距離を詰めて縦に降ろす。
目くらましだとか他のことを考えている余裕はない。とにかく次から次に手を打たないと逆にやられてしまいそうになる。
それこそ、目の前にいる相手は余裕の表情でむしろこの時状況を楽しんでいる風に見えるから余計に作業が雑になる。
「てめぇに幼馴染殺されて、そのせいで最悪なまま終わりになって、挙げ句の果てには何も関係のない後輩を巻き込んでっ……いい加減、俺に関わるんじゃねぇよ‼︎」
「あーあーそうかそれは悪かった……なっ!」
鉄パイプを掴まれて動きを止められる俺の脇腹に下野の鍛錬された蹴りが入り、4mほど背後に蹴り飛ばされる。
「……うぐっ!」
「……情けねぇなぁ、助けに来た先輩がこんなんじゃぁぜ〜ったいにあの娘は助からないなぁ」
下手に接客しかしていない弱々しい体に、蹴りの衝撃と苦痛が鋭く残る。
下野は、俺から取り上げた鉄パイプを再び俺の目の前に転がした。
傷一つ付いていない鉄パイプに、笑われているような気がした。
「っつうか、俺はお前なんかの幼馴染なんざ殺した記憶はねぇよ。学生は狙ったら騒がれやすいからなぁ、いなくなっても影響のない奴だけしか殺ってないんだわ」
鉄パイプを手に握り立ち上がるが、蹴りのダメージでまともに踏ん張れそうにない。
同時に及びようのない力の差と平気で同種を手にかける狂人への恐怖で、手先に震えが走る。情けないが、今は鉄パイプを握ることで震えを相殺するのが精一杯だ。
「もっと手応えがあると思ったんだが……とんだ期待外れだったな」
「……期待…外れなら、あいつだけは逃がしてやってくれよ……標的は、俺なんだろ?」
「…………敵に向かって許しを請うことこそ、もっと期待外れだっつってんだよ‼︎」
助走をつけた奴の蹴りが、まともに頭に入り視界が眩む。
まともに立つ力が入らない。
市内での全速力走、今の争いで、体力はとうに残っていない。
息切れのせいで視界がぼやけて下野の虚像が歪む。
それでも立ち上がれるのは、まだ、諦めていないからで。諦めるわけにはいかないわけで。
ここから先は、言い訳も諦めも無しだ。
「……っつはぁ、はぁ……期待に応えるなんて……誰が言ったってんだよ……。他人に勝手に役目を振るのも、期待に応えられないのも、全部っ……期待が大き過ぎるせいだろうが‼︎」
足元の鉄パイプを下野に向かって投げつける。
そして近くに転がっているもう一つの鉄パイプを速攻で拾い、下野が避けた先を読んで足元を狙う。
「よぉっし! いい動きだ、だがなぁっ!」
鉄パイプ日本を使った奇襲も、防がれる。振りかぶった鉄パイプを下野は両手で受け止める。
鉄パイプを振りほどかせようと、力を込める。
下野がそれに順応して更に鉄パイプを握る力を強める。
「……やっぱり俺の本分は、奇襲なんだな」
「はぁ? なんだよいきな……うぉっ!」
鉄パイプを支点にして奴の頭に蹴りを入れる。あまり効果はない。蹴りを入れた状態のまま、下野の肩に体重をかけて一気にもう一方の足で奴の首を挟みそのまま奴のバランスを奪う。
まともな受身も取れないまま地面に叩きつけられる。腕に走る激痛を無理矢理耐え、そのまま下野を締め落とす体勢に入る。
「……こ……クソガキが……あっ」
下野の動きが鈍くなる。
腕の力を一層強くする。
下野を締め落とす事に精一杯になっていた俺は、下野の腕の動きにまで、気を回すことができなかった。
下野の腕が素早く動く。上着の内ポケットに入った手が取り出したものが認識出来なかった。いや、認識出来たとしても、反応できることは出来なかった。
「このままっ……目を覚ますな……っ!」
「……く…あ」
下野が取り出したナイフが、夕陽を受けてオレンジ色に染まり、反射した陽光が俺の視界を燦然と照らした。
その刹那、目前で煌めいていたはずのナイフは、いつの間にか下野の首を締める俺の腕へと突き立てられていた。
経験したことのない感覚が、一瞬で体を支配する。
