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眠り姫


木製の、病室の扉を3回ノックする。
扉には、206号室と黒字で彫られていた。
「……悠人、入るよ?」
返事がない。記憶喪失は断片的なものだと聞いていたが、まさか自分の名前すら忘れてしまったのだろうか。
次々と浮かび上がる不安を押しのけて、私は扉を開いた。
「……寝てただけ、か」
安堵の溜息が漏れる。
悠人の額には、包帯が巻かれていた。
傷の深さがどれほどのものかなんて、知りたくもなかった。
でも、規則正しい寝息を立てている悠人を見れば、傷の痛々しさなんて、微塵も感じられない。
「……良かったぁ、生きててくれて……」
悠人の手を握る。私の涙が、シーツを濡らし、そこに斑点状の跡が幾多もできる。
「……んぁ」
シーツが擦れる音とともに、低く、寝ぼけた声が聞こえた。
「悠人、おはよう」
「おはようございます……新しい看護師さん?」
「……覚えてない、か」
私の呟きに、悠人は首を傾げる。
先ほどまでの幸福感で溢れた涙が、哀しみへと塗り替えられていく。
しかし、唇を噛み締め、それを堪える。
覚えてない方が、悠人にとっては幸せなのだ。
私の所為で、こんなことになってしまっているのに、覚えていて欲しかっただなんて。
私はここまで自惚れた人間だっただろうか。
「……すみません、俺。また忘れちったみたいで」
「悠人は、悪くないよ……」
悪いのは、私だ。
さっきから、悠人は私に対して敬語を使っていた。それが、何処までも他人行儀に感じて、苦しかった。
「名前、聞いても良いですか?」
「……可憐」
「可憐さん、かぁ」
へぇ、と興味深そうに私の顔をまじまじと見つめる悠人。
泣き腫れた顔なんて、本当は見て欲しくなかったが、何も知らない悠人が。私の罪を知らない悠人が。
もう一度、私に興味を持ってくれているのなら。
そんな下衆な考えが浮かぶのだから、私はやはり低俗で、そして悠人が好きなのだろう。

<2016/11/04 12:41 錯乱咲良>消しゴム
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