第7章 『君を失ったその日から』
天井が見える。白い天井だ。目が熱い。そうか、俺は泣いているのか。
カーテンの隙間から差し込む太陽の光が彼を焼くように照らしていた。
「はぁ…夢か…ぁ…」
悪夢から現実へと帰還した雄斗の瞳には、涙の雫が溜まっていた。
一月二十七日。佑姫との最悪な別れから、一日が経っていた。
「何もかもが、うまく行き過ぎていたんだよな…」
そう、何もかもがうまく行き過ぎていたんだ。
あの時の、黒い怒りだけに染まった君の表情が忘れられない。あの時の、光を失った君の瞳が忘れられない。
俺には耐えられなかった。わからなかった。
「君を失った俺は、生きている意味があるのか…」
心の底からの叫びが声に出る。
そうだ。ずっとそうだったはずだ。俺は君のために生きた。君のためだけに。
俺の意味は佑姫。佑姫の意味は雄斗。それはお互い同じだったに違いない。
どこかでずれてしまったんだ。どこかで感情がすれ違ってしまったんだ。
目の下に隈を浮かべ、伸びきった髪の毛は寝癖でボサボサだ。
「うううううっ!」
一階のリビングに降りてくると、何かが衝突してきた。
「痛あっ…!」
足が轢かれた。車輪のようなものに足が轢かれ、同時に痛みが伝わってくる。
「なんだ、永遠かっ…」
俺の足を轢いた轢き逃げ犯の正体は弟の朝霧永遠(あさぎりとわ)だった。
弟はまだ物心のつかないゼロ歳だ。来月の十四日に一歳の誕生日を迎える。
俺を轢いた車輪の正体は永遠が乗っている歩行器だった。
最近は少しずつ歩行器を使い、歩く練習を始めていた。その歩行器も今となっては遊び道具のように乗りこなしていたが。
「朝から元気だな…」
朝から元気に歩行器を走らせる永遠を見ていると、少しだが元気が湧いてくる。
「あ、雄斗おはよっ~」
和室の方から声が聞こえた。寝不足の頭によく響く高い声だ。
「お母さんっ…!」
和室から顔を覗かせ母親は俺に挨拶を送っていた。
これが俺の母親、朝霧詩音(あさぎりしおん)だ。父親が四度目に再婚した義理の母親だ。
中学二年生の母親なのに、歳が二十代だ。
「なんか、不思議だな…」
いつも思う。
「朝ごはんはー?」
母親はいつも通り明るく聞いてきた。
「いらない…」
今は、何かを食べる気分ではなかった。何も喉に通らない。
「はぁ…」
俺の心の奥深くには、あの日のことがパラパラ漫画のコマ送りのように再生されていた。
毛布に体を包み、ただ泣いていた。自室からはしばらく出られそうにない。
「どうしてっ…」
涙の雫は、毛布に染み込んでいくだけだ。彼女を失った俺には、生きる希望が見えなかった。
それだけ、彼女の存在は大きかった。
『さよなら、朝霧雄斗…』
今もあの時の言葉が頭から離れない。あの時の言葉は、呪いだ。俺を殺すためだけに生まれた呪いの言葉だ。
今も頭から離れることがないその言葉は、俺の心を締め付けた。
苦しむ顔を見るだけでは満足出来ず、涙を流しても満足出来ず、心が腐っても満足出来ない。
それだけの想いが呪いには込められていた。
「どうすれば、よかったんだっ…」
今更考えても手遅れの問題だった。それでも、考えられずにはいられなかった。
次第に目が痛くなってくる。目からは大粒の雫が、休むことなく溢れ出している。
泣いた。泣いていた。抑えられなかった。
この涙は、誰のために流しているのか、本人にもわからない。
ただ、一言言うならば、朝霧雄斗の心は順調に腐り始めていた。
誰にも会いたくない。誰とも話したくない。俺の存在を忘れてほしい。
「俺には、生きている意味が…」
自分は何を望んだんだ。これが自分の望んだものだったのか。
雄斗にはわからない。わからないから、泣いていた。わからないから、泣き喚いた。
「これが、俺の望んだ…」
誰も信用出来ない。誰も信じることが出来ない。誰も誰も誰も誰も誰も誰もももももも…。
「誰か、俺の心を壊してくれ…」
君を失った俺に意味は無い。あるのは人間の形をした欲望だ。
こんな世界に導いたのは誰なのか。恨むとすれば相手はひとりだった。それはきっと、『運命』という名の悪魔だ。
俺は悪魔に取り憑かれたんだ。悪魔に導かれたこの世界に…。
「よっ、雄斗っ!」
いつもの完全防寒装備で外に出ると、そこには拓磨がいた。
「おはよ…」
俺は冷たく言った。あの日の彼女のように冷たく言った。
「相変わらず元気ないな~」
いつも以上に暗い俺の様子に拓磨は笑いながら呟いた。
今の俺は、誰とも会いたくなかった。誰とも話したくなかった。誰とも関わりたくなかった。
それなのにどうして俺が拓磨と一緒にいるのか、それは三十分近く前のことだ。
ひとりで毛布に顔を押し付けて泣いていた。そんな時だった。
「電話…?」
俺のスマホが小さなこの部屋に着信音を響かせていた。
「拓磨…?」
画面をのぞき込むと、『新田拓磨』と表示されていた。
俺は無視をすることも考えた。
「もしもし…」
その時の俺は、素直に電話に出た。なぜ自分は無視をしなかったのだろうか。
『おお、もしもし雄斗っ!今さ、暇だから遊べる?』
拓磨はいつも通り明るい調子で言った。
「わかった…。俺もちょうど外に行きたかったところだ…」
俺はすぐに同意の返事を返した。俺の返事に拓磨は表情を明るくしているようだった。電話越しでもわかるくらいに。
『じゃあ今から雄斗の家行くからっ!』
拓磨は最後にそう言い残し、通話を終了した。
「雄斗はどこか行きたいところある?」
「えっ…?」
三十分近く前のことを思い出していた。拓磨の声で現実へと戻った俺は、質問に答えた。
「俺は、どこでもいいよ…」
その瞬間、あの日のことが脳裏を駆け抜けた。
『雄斗は、どこに行きたいの?』
寒い日だった。そんな寒さを気にしないくらいに俺には、熱が灯っていた。
『俺は、佑姫と一緒ならどこだっていいよ』
俺は目の前に立つ雪のような少女にそう答えた。
『そっか、ならカラオケとかは?』
佑姫は楽しそうに微笑んだ。その君の横顔が、とても美しくて…。
「…とっ!…っ斗!…雄斗っ!」
声が聞こえた。俺の名前を呼ぶ声だ。
「あ、えっとごめん。どうしたの?」
俺を呼んでいたのは目の前の拓磨だ。
「どうしたのじゃないよ。突然泣き始めて…」
「えっ…」
慌てて自分の顔に手を触れる。
「嘘っ…どうして…。なんで、泣いてなんか…いるの…」
光を無くしたふたつの瞳からは、涙の雫が溢れ出していた。
「雄斗…」
俺を見つめながら拓磨が呟いた。
「違う、どうして…。涙が…止まらない…よ…」
溢れ出した涙は、止まることなく流れ続けた。
どうして止まらないのか、自分にもわからない。わからなかった。
人間として少しずつ、確実に壊れていった。壊れたおもちゃは感情がわからず泣き始めた。
そんな壊れたおもちゃに、話しかけたんだ。
「雄斗、もしよかったら、話してくれないか…?」
どこまでも真っ直ぐな瞳で俺を見つめ、拓磨は言った。壊れたおもちゃに救いの声を発したんだ。
「えっ…」
本当はどこかで期待していたんだ。拓磨は俺とは違い、優しい人間だ。きっと声をかけてくれる。
先が見えない俺の、話を聞いてくれる。そんな身勝手な期待を勝手に押し付けていた。
だから、拓磨の誘いを断らなかった。
俺は拓磨の優しさに、弱い自分を隠した化物だ。
ふたりは、スーパーマーケット『ヤマザワ』に来ていた。店内には、ファーストフード『マクドナルド』なんかもあった。
俺と拓磨は、店内にあるパン屋『サンロード』にある休憩所で向かい合っていた。
「何が、あったの…?」
目の前に座る拓磨は、どこまでも優しい声で聞いてきた。
「俺は、一番大切なものを失った…」
失ったんだ。生きる意味を、俺の存在の意味を無くしたんだ。
「それって、どんなもの?」
拓磨は、普段とは違う落ち着いた雰囲気で俺に話しかけていた。
「俺の、初めての彼女だ…」
「そっか…」
俺の答えに拓磨は、落ち着いて答えた。
「学校で噂になっていた彼女さんの話は、本当だったんだね…」
学校内では、一部の生徒には有名だった。俺はこの数日で、どれだけ質問攻めにあったことか。
「喧嘩したんだ…。理由はわからない…」
「そっか…」
拓磨の瞳は透き通っていた。それでも、しっかりと力強い光が宿っていた。そんな瞳だった。
「怖かった、よね…」
人を好きになると、同時に怖さが芽生える。いつか裏切られるかも知れない。そんな怖さだ。
「すごく、すごく怖かった…。もう、生きる意味が無いんだ…。生きる意味を無くしたんだ…」 今の俺は、人間の形をした何かだ。意味を無くした生き物には生きる意味も生きる価値もないんだ。 「そんなことない、雄斗には生きる意味がある。仲直り、すればいいと思う…」 拓磨は今にも擦り切れそうな俺を見て、小声で言った。 「そんなのは、無理だ…。もう、あの日の彼女はいなくなったんだ…」 そうだ。あの日の彼女は遠く彼方へといなくなった。
『俺と、付き合ってくれませんか…?』 俺はすべての想いをその一言に込めた。 目の前の少女は踊る雪たちに囲まれながら言った。 『私なんかでいいんだったら、すごーく嬉しいな!』 あの夜に、ふたりは結ばれたんだ。お互いの意味が、あの夜に生まれたんだ。
今も何度も思い出す、あの日の記憶。あの日の彼女の横顔は、遠く彼方へと消えたんだ。 「それでも…。それでも、頑張らなきゃ、行けないんじゃないのか…?」 拓磨は真っ直ぐ俺を見ていた。 その光に満ちた拓磨の瞳が、俺は… 「大嫌いだ…」 俺は、拓磨に期待していたんだ。俺の傷に寄り添ってくれる。俺のことをわかってくれる。 「もういいよ、拓磨…。お前にも俺の気持ちが理解できない…」 その言葉を最後に、俺は拓磨を避けるように、席を立った。
「みんな、誰もわかってくれない…。みんな、俺の敵だ…」 ひとりだった。ひとりで自室に閉じこもった。 勝手に信じた拓磨をひとり置き去りにし、勝手に逃げ帰ってきた。 「俺は、ひとりだ。身勝手だ。誰も、いない…」 今日何回目だろうか。雄斗の瞳からは熱を無くした冷たい涙が流れ落ちていた。 「馬鹿だよな…。本当に馬鹿だ…。俺は…」 結局裏切ったのは自分なんだ。自分の弱さが人を裏切った。 佑姫から終わりの言葉を告げられた。勝手に拓磨を信じて裏切った。 「あの時の君なら、こんな時、どんな言葉をかけてくれるんだろうな…」 毛布に涙が染み込んだ。染み込ませながら泣いた。 俺の弱さは誇れることも嘆くことも出来ない。この弱さは、俺の罪だ…。
強欲だ。勝手に何もかもを信じて欲張った、俺の存在が強欲だ。
「俺は、誰を信じれば…」
誰も信じられない。自分すらも信じられない。
ひとりの部屋は、相変わらず寒かった。その寒さが俺のことを責めているかのようで、少し気分がよかった。
「強欲…」
今の俺に当てはまる一番の言葉だ。
自分は、佑姫や拓磨の裏に弱さを隠した化物だ。
「強欲の、化物…」
俺は化物だ。強欲の化物だ。
「俺は、君を失ってからひとりの化物になったよ。たくさん欲張った。その結果、俺は強欲の化物になったんだ…」
先が見えない。何も見たくない。すべてから目をそらしたい。
すべてを捨てたい。すべてを裏切りたい。誰も信じたくない。
少年は、泣いていた。ひとりの部屋で、光を無くした瞳から、涙を流していた。
天井が見える。白い天井だ。目が熱い。そうか、俺は泣いているのか。
カーテンの隙間から差し込む太陽の光が彼を焼くように照らしていた。
「はぁ…夢か…ぁ…」
悪夢から現実へと帰還した雄斗の瞳には、涙の雫が溜まっていた。
一月二十七日。佑姫との最悪な別れから、一日が経っていた。
「何もかもが、うまく行き過ぎていたんだよな…」
そう、何もかもがうまく行き過ぎていたんだ。
あの時の、黒い怒りだけに染まった君の表情が忘れられない。あの時の、光を失った君の瞳が忘れられない。
俺には耐えられなかった。わからなかった。
「君を失った俺は、生きている意味があるのか…」
心の底からの叫びが声に出る。
そうだ。ずっとそうだったはずだ。俺は君のために生きた。君のためだけに。
俺の意味は佑姫。佑姫の意味は雄斗。それはお互い同じだったに違いない。
どこかでずれてしまったんだ。どこかで感情がすれ違ってしまったんだ。
目の下に隈を浮かべ、伸びきった髪の毛は寝癖でボサボサだ。
「うううううっ!」
一階のリビングに降りてくると、何かが衝突してきた。
「痛あっ…!」
足が轢かれた。車輪のようなものに足が轢かれ、同時に痛みが伝わってくる。
「なんだ、永遠かっ…」
俺の足を轢いた轢き逃げ犯の正体は弟の朝霧永遠(あさぎりとわ)だった。
弟はまだ物心のつかないゼロ歳だ。来月の十四日に一歳の誕生日を迎える。
俺を轢いた車輪の正体は永遠が乗っている歩行器だった。
最近は少しずつ歩行器を使い、歩く練習を始めていた。その歩行器も今となっては遊び道具のように乗りこなしていたが。
「朝から元気だな…」
朝から元気に歩行器を走らせる永遠を見ていると、少しだが元気が湧いてくる。
「あ、雄斗おはよっ~」
和室の方から声が聞こえた。寝不足の頭によく響く高い声だ。
「お母さんっ…!」
和室から顔を覗かせ母親は俺に挨拶を送っていた。
これが俺の母親、朝霧詩音(あさぎりしおん)だ。父親が四度目に再婚した義理の母親だ。
中学二年生の母親なのに、歳が二十代だ。
「なんか、不思議だな…」
いつも思う。
「朝ごはんはー?」
母親はいつも通り明るく聞いてきた。
「いらない…」
今は、何かを食べる気分ではなかった。何も喉に通らない。
「はぁ…」
俺の心の奥深くには、あの日のことがパラパラ漫画のコマ送りのように再生されていた。
毛布に体を包み、ただ泣いていた。自室からはしばらく出られそうにない。
「どうしてっ…」
涙の雫は、毛布に染み込んでいくだけだ。彼女を失った俺には、生きる希望が見えなかった。
それだけ、彼女の存在は大きかった。
『さよなら、朝霧雄斗…』
今もあの時の言葉が頭から離れない。あの時の言葉は、呪いだ。俺を殺すためだけに生まれた呪いの言葉だ。
今も頭から離れることがないその言葉は、俺の心を締め付けた。
苦しむ顔を見るだけでは満足出来ず、涙を流しても満足出来ず、心が腐っても満足出来ない。
それだけの想いが呪いには込められていた。
「どうすれば、よかったんだっ…」
今更考えても手遅れの問題だった。それでも、考えられずにはいられなかった。
次第に目が痛くなってくる。目からは大粒の雫が、休むことなく溢れ出している。
泣いた。泣いていた。抑えられなかった。
この涙は、誰のために流しているのか、本人にもわからない。
ただ、一言言うならば、朝霧雄斗の心は順調に腐り始めていた。
誰にも会いたくない。誰とも話したくない。俺の存在を忘れてほしい。
「俺には、生きている意味が…」
自分は何を望んだんだ。これが自分の望んだものだったのか。
雄斗にはわからない。わからないから、泣いていた。わからないから、泣き喚いた。
「これが、俺の望んだ…」
誰も信用出来ない。誰も信じることが出来ない。誰も誰も誰も誰も誰も誰もももももも…。
「誰か、俺の心を壊してくれ…」
君を失った俺に意味は無い。あるのは人間の形をした欲望だ。
こんな世界に導いたのは誰なのか。恨むとすれば相手はひとりだった。それはきっと、『運命』という名の悪魔だ。
俺は悪魔に取り憑かれたんだ。悪魔に導かれたこの世界に…。
「よっ、雄斗っ!」
いつもの完全防寒装備で外に出ると、そこには拓磨がいた。
「おはよ…」
俺は冷たく言った。あの日の彼女のように冷たく言った。
「相変わらず元気ないな~」
いつも以上に暗い俺の様子に拓磨は笑いながら呟いた。
今の俺は、誰とも会いたくなかった。誰とも話したくなかった。誰とも関わりたくなかった。
それなのにどうして俺が拓磨と一緒にいるのか、それは三十分近く前のことだ。
ひとりで毛布に顔を押し付けて泣いていた。そんな時だった。
「電話…?」
俺のスマホが小さなこの部屋に着信音を響かせていた。
「拓磨…?」
画面をのぞき込むと、『新田拓磨』と表示されていた。
俺は無視をすることも考えた。
「もしもし…」
その時の俺は、素直に電話に出た。なぜ自分は無視をしなかったのだろうか。
『おお、もしもし雄斗っ!今さ、暇だから遊べる?』
拓磨はいつも通り明るい調子で言った。
「わかった…。俺もちょうど外に行きたかったところだ…」
俺はすぐに同意の返事を返した。俺の返事に拓磨は表情を明るくしているようだった。電話越しでもわかるくらいに。
『じゃあ今から雄斗の家行くからっ!』
拓磨は最後にそう言い残し、通話を終了した。
「雄斗はどこか行きたいところある?」
「えっ…?」
三十分近く前のことを思い出していた。拓磨の声で現実へと戻った俺は、質問に答えた。
「俺は、どこでもいいよ…」
その瞬間、あの日のことが脳裏を駆け抜けた。
『雄斗は、どこに行きたいの?』
寒い日だった。そんな寒さを気にしないくらいに俺には、熱が灯っていた。
『俺は、佑姫と一緒ならどこだっていいよ』
俺は目の前に立つ雪のような少女にそう答えた。
『そっか、ならカラオケとかは?』
佑姫は楽しそうに微笑んだ。その君の横顔が、とても美しくて…。
「…とっ!…っ斗!…雄斗っ!」
声が聞こえた。俺の名前を呼ぶ声だ。
「あ、えっとごめん。どうしたの?」
俺を呼んでいたのは目の前の拓磨だ。
「どうしたのじゃないよ。突然泣き始めて…」
「えっ…」
慌てて自分の顔に手を触れる。
「嘘っ…どうして…。なんで、泣いてなんか…いるの…」
光を無くしたふたつの瞳からは、涙の雫が溢れ出していた。
「雄斗…」
俺を見つめながら拓磨が呟いた。
「違う、どうして…。涙が…止まらない…よ…」
溢れ出した涙は、止まることなく流れ続けた。
どうして止まらないのか、自分にもわからない。わからなかった。
人間として少しずつ、確実に壊れていった。壊れたおもちゃは感情がわからず泣き始めた。
そんな壊れたおもちゃに、話しかけたんだ。
「雄斗、もしよかったら、話してくれないか…?」
どこまでも真っ直ぐな瞳で俺を見つめ、拓磨は言った。壊れたおもちゃに救いの声を発したんだ。
「えっ…」
本当はどこかで期待していたんだ。拓磨は俺とは違い、優しい人間だ。きっと声をかけてくれる。
先が見えない俺の、話を聞いてくれる。そんな身勝手な期待を勝手に押し付けていた。
だから、拓磨の誘いを断らなかった。
俺は拓磨の優しさに、弱い自分を隠した化物だ。
ふたりは、スーパーマーケット『ヤマザワ』に来ていた。店内には、ファーストフード『マクドナルド』なんかもあった。
俺と拓磨は、店内にあるパン屋『サンロード』にある休憩所で向かい合っていた。
「何が、あったの…?」
目の前に座る拓磨は、どこまでも優しい声で聞いてきた。
「俺は、一番大切なものを失った…」
失ったんだ。生きる意味を、俺の存在の意味を無くしたんだ。
「それって、どんなもの?」
拓磨は、普段とは違う落ち着いた雰囲気で俺に話しかけていた。
「俺の、初めての彼女だ…」
「そっか…」
俺の答えに拓磨は、落ち着いて答えた。
「学校で噂になっていた彼女さんの話は、本当だったんだね…」
学校内では、一部の生徒には有名だった。俺はこの数日で、どれだけ質問攻めにあったことか。
「喧嘩したんだ…。理由はわからない…」
「そっか…」
拓磨の瞳は透き通っていた。それでも、しっかりと力強い光が宿っていた。そんな瞳だった。
「怖かった、よね…」
人を好きになると、同時に怖さが芽生える。いつか裏切られるかも知れない。そんな怖さだ。
「すごく、すごく怖かった…。もう、生きる意味が無いんだ…。生きる意味を無くしたんだ…」 今の俺は、人間の形をした何かだ。意味を無くした生き物には生きる意味も生きる価値もないんだ。 「そんなことない、雄斗には生きる意味がある。仲直り、すればいいと思う…」 拓磨は今にも擦り切れそうな俺を見て、小声で言った。 「そんなのは、無理だ…。もう、あの日の彼女はいなくなったんだ…」 そうだ。あの日の彼女は遠く彼方へといなくなった。
『俺と、付き合ってくれませんか…?』 俺はすべての想いをその一言に込めた。 目の前の少女は踊る雪たちに囲まれながら言った。 『私なんかでいいんだったら、すごーく嬉しいな!』 あの夜に、ふたりは結ばれたんだ。お互いの意味が、あの夜に生まれたんだ。
今も何度も思い出す、あの日の記憶。あの日の彼女の横顔は、遠く彼方へと消えたんだ。 「それでも…。それでも、頑張らなきゃ、行けないんじゃないのか…?」 拓磨は真っ直ぐ俺を見ていた。 その光に満ちた拓磨の瞳が、俺は… 「大嫌いだ…」 俺は、拓磨に期待していたんだ。俺の傷に寄り添ってくれる。俺のことをわかってくれる。 「もういいよ、拓磨…。お前にも俺の気持ちが理解できない…」 その言葉を最後に、俺は拓磨を避けるように、席を立った。
「みんな、誰もわかってくれない…。みんな、俺の敵だ…」 ひとりだった。ひとりで自室に閉じこもった。 勝手に信じた拓磨をひとり置き去りにし、勝手に逃げ帰ってきた。 「俺は、ひとりだ。身勝手だ。誰も、いない…」 今日何回目だろうか。雄斗の瞳からは熱を無くした冷たい涙が流れ落ちていた。 「馬鹿だよな…。本当に馬鹿だ…。俺は…」 結局裏切ったのは自分なんだ。自分の弱さが人を裏切った。 佑姫から終わりの言葉を告げられた。勝手に拓磨を信じて裏切った。 「あの時の君なら、こんな時、どんな言葉をかけてくれるんだろうな…」 毛布に涙が染み込んだ。染み込ませながら泣いた。 俺の弱さは誇れることも嘆くことも出来ない。この弱さは、俺の罪だ…。
強欲だ。勝手に何もかもを信じて欲張った、俺の存在が強欲だ。
「俺は、誰を信じれば…」
誰も信じられない。自分すらも信じられない。
ひとりの部屋は、相変わらず寒かった。その寒さが俺のことを責めているかのようで、少し気分がよかった。
「強欲…」
今の俺に当てはまる一番の言葉だ。
自分は、佑姫や拓磨の裏に弱さを隠した化物だ。
「強欲の、化物…」
俺は化物だ。強欲の化物だ。
「俺は、君を失ってからひとりの化物になったよ。たくさん欲張った。その結果、俺は強欲の化物になったんだ…」
先が見えない。何も見たくない。すべてから目をそらしたい。
すべてを捨てたい。すべてを裏切りたい。誰も信じたくない。
少年は、泣いていた。ひとりの部屋で、光を無くした瞳から、涙を流していた。
