どき、どき、と嫌に心臓が鳴る。
それは皆同じようで、周囲をそっと見渡せば、緊張した空気がひしひしと伝わってきた。
慶応三年、十一月十八日。
寒さが身にしみるようになってきた油小路で、僕たちはただ身を隠す。
……と。
「……来たぞ。」
そっと小さな声を落とした八十さんに、僕は小さく頷く。
前方にはご機嫌な様子で歩く伊東さんの姿が見えた。
…殺気は、出さず。落ち着いて。深呼吸…。
「行け。」
今度は土方さんの声を合図に、僕と八十さんは駆け出した。
時は数日前に遡る。
前に離隊していった人たち……平助さんとかもそうだ。その人たちによる御陵衛士が、何やら不審な動きをしているとの報告があったそう。…何やら、近藤さんを暗殺する計画も立てていたらしく。
御陵衛士は今日、粛清されることになった。
作戦としては、まず伊東さんを近藤さんと土方さんが接待。その後、酔った伊東さんを始末してその遺体を囮に御陵衛士を導き出す。
そして、その御陵衛士の人たちを斬る。
単純で、少し残酷な方法だ。
…そして、その伊東さんの始末の担当となったのが僕と八十さん。
僕たちは目を合わせ、さっと抜刀した。
伊東さんはその気配を察してか、ぎょっと目を見開く。
でも、抵抗する間なんて与えずに、僕たちは一気に伊東さんに斬りかかった。
伊東さんを貫いた僕たちの刀が月光に怪しく光ったその瞬間。
さっと刀を抜いた傷口から、血が激しく飛び出した。
やや返り血に塗れた僕と八十さんは、静かに屯所に向かっていく。
御陵衛士殺害の実行隊には入っていないので、これで役目は終了なのだ。
あの後、きちんと脈も確認した。
「……八十さん。」
「何だ?」
「僕、人を斬ったのは今日がはじめてなんです。」
不意に僕が口にした言葉に、八十さんは驚いたような顔をする。
「手慣れているように見えたが…ああ、真雪はまだ20にもなっていなかったな。」
「年齢って関係あるんですか?」
「ないな。」
八十さんはふっと小さく笑った。
…八十さんは、夜が似合う。
艶やかな黒髪も、深い藍色の瞳も、月光の下に浮かび上がるような白い肌も。…そして、ほおにべったりとついてしまった緋色の血液も。
…狂おしいほどに美しい。
「…人を斬ったのが、怖いか。」
そっと問われ、首をかしげる。
「怖いわけじゃないと思うんです。」
何でだろう、この気持ちは何だろう。
「伊東さんを斬ったとき、返り血を避けられなくて結構浴びたというか…体についちゃったじゃないですか。そのとき…」
「そのとき?」
話が読めないのか、八十さんは怪訝そうに眉を寄せた。
「……舐めてみたい、という衝動に駆られたんです。
舐めたらどんな味なんだろう、どんな香りが広がるのかな。
何だか……狂ってしまいそうな気がしました。」
「……狂う?」
きょとん、と八十さんが返す。
「はい。……ああ、結局舐めはしませんでした。
さすがにおかしいとは自覚していますし…」
何でなんでしょうね、なんて答えが来るわけのない問いかけ。
八十さんも反応に困る顔をしていた。
「あっ、そんな真剣に考えないでください!はじめて人を斬った興奮で、かもしれませんし…」
「そうか。何かあったら言うんだぞ?」
「はい。」
ちょっと今、お母さんの血のことを考えたのだけど……。
この調子じゃ、言わない方がいいかな。
「…ん。」
「どうした?」
「このお花、懐かしいなあ……前に家の近くに咲いていたんですよ。」
ここにきてからは一度も見ていなかった、小さな青い花。
「…?そんな花、はじめて見たぞ。異国のものか?」
「そうなんですかね?」
僕、そういうものには全く知識がないもので。
二人して首をかしげた後、小さく笑った。
………と、その時。
向こうから凄い勢いで走ってくる姿が見えて、僕たちはつい立ち止まる。
長い髪、西洋の刀、短い袴……
目を凝らして、僕はぽつりと声をもらした。
「………歌恋、さん……?」
お留守番じゃなかったんですか……?
