手足が、雪のように冷たい。
夜も更け、月明かりだけが冷たく僕を照らす。
身体に染みるような寒さの中、僕は廊下をひたひたと歩いていた。
もうどこの部屋も明かりは消えていて、なんとなく心細い気分になる。
けれども、一度喉の渇きに気づいてしまうとどうしようもなくて、仕方なくこうして井戸に向かっているのだ。
「…ん」
小さく声を出す。
一部屋だけ、明かりがついている。
副長室……土方さん、寝ていないのかな。忙しいのかな。
部屋に影が入らないよう気をつけて近づいてみた。
「……だが、…」
なにやら、近藤さんと土方さんが話をしているようだ。
そっと、耳を澄ます。
「危ないところだった。月色君と山野君がいなかったら撃たれていたかもしれないな」
「ああ…あの二人にゃ感謝しねえと」
撃たれて?いつの話だろう。
今日の夕方あたりかな。八十さんがいなかったのはそのせい?
「山野君は大丈夫なのか」
「ああ、咄嗟に手を出したとはいえ歌恋の短刀で大体弾の起動は逸れていたからな。左手に掠ったくらいで済んだ」
「それはなにより」
歌恋さんすごい。投げたのかな?
と、不意に声が余計小さくなったような気がして、僕はさらに耳に意識を集中させた。
「……でだ、近藤さん」
「なんだ?」
「もうすぐ戦が始まるだろ?
……真雪や、総司はどうすんだ」
僕の話?
危うく気が緩みそうになって、慌てて気配を隠すように小さな深呼吸をする。
「連れてくわけにはいかんだろう」
「だがな、やっぱり…あいつらは、新選組にはなくてはならねえ存在なんだ。体調が許せば、戦にも出してえ……そう思っちまう」
息を飲んだ。
僕が、土方さんに迷惑をかけているのではないか。僕がこんなだから、土方さんは困っているのではないか。
そんな考えがぐるぐると頭の中を渦巻く。
「…トシ、それは俺も同じだ。
しかしな、無理をさせて…二人を、万が一にも殺してしまうようなことがあれば…謝れば済むような問題ではないんだぞ」
「それは俺だってわかってるよ」
土方さんの、力のこもった声。まるで、自分が戦に出れないような悔しそうな声。
そっか、僕、役立たずなんだ。
改めて現実を突きつけられたようで、唇を噛み締めた。
それでも、唇よりも心が痛い。
心の臓のあたりを手で強く握る。着物がくしゃくしゃになってしまおうが、どうでもいい。
悔しい、悔しいよ。
なんで僕は毎日寝ているのだろう。巡察にも出れないで、稽古にも出れないで。情けないったらありゃしない。
もう喉の渇きなんて気にならなくて、僕はそっとその場所を離れた。
部屋に戻り、もう冷めてしまった布団に潜り込む。
なんだか眠気がなくなってしまったようで、ぼんやりと天井を見つめた。
僕が、進むべき道は何なのかな。このまま、床で死ぬのか、戦場で死ぬのか。僕はどちらを望むのだろう。
どちらが、僕が進むべき道なのだろう。
「…は?」
次の日。土方さんは、力が抜けたかのような声を出した。
「だから、僕も戦に出たいと言っています」
広間にいる人たちも呆然と僕を見ている。
僕は心を落ち着かせるように、一つ息を吸った。
「病も最近はいくらか調子が良いです。
けれど、足手まといになるかもしれません。…そのときは、遠慮なく殺してください」
「…お前、今自分がどんな状況だかわかってんのか…?!」
怒りを抑えたのか、震えた声に僕はひるみそうになる。
けれども、昨日のあの話を聞いて、黙って寝ているなんてできなくて。
僕はなるべく表情を変えず、まっすぐ土方さんを見据えた。
「ええ」
それだけ言って、土方さんの様子を伺う。
土方さんは戸惑っているようで、唇はわなわなと震えていた。
その後、強く胸ぐらを掴まれる。
「お前…俺が、どれだけお前を心配してると思ってんだ…?俺が、どれほど…お前を!!」
「だから、です」
「は?」
僕は土方さんの手をそっと離してから、ゆっくりと話し始めた。
「僕は、剣の腕でここに入隊したでしょう。けれども、病でその腕を使えなくなっている。今じゃただの役立たずです。
戦は、こんな身体で出られるようなところじゃないくらいわかってます。
でも、決めました。どうせ死ぬ運命。ならば、その命をどう使おうが構わないでしょう。
僕は、ここを死に場所にします。どうか、戦に出させてください」
どう言われるかな。お前は甘い、とか?それとも、ふざけんじゃねぇ…とか?
そう思いながら土方さんを見ていたら、予想外のところから声が聞こえてきた。
「……見損ないましたよ、真雪。
死ぬために戦を使おうなんて、ただの我儘です」
冷たい声。
普段の明るさや、ちゃん付けは消え失せた話し方。
あまりにいつもと違うので、声の持ち主が歌恋さんとわかるまで、少しの時間を必要としてしまった。
「…」
反論しようにも、歌恋さんが言っていることは正しいから何も言えない。
別に、死ぬために戦うわけではない。ただ、新選組のためなら命を投げ捨てても構わないと思っているだけ。けれども、それは死ぬための理由みたいなもので。
歌恋さんは僕を軽く一睨みすると、そのまま出て行ってしまった。
「おい、歌恋…」
平助さんもこちらを心配げに見た後、歌恋さんを追って出て行く。
もともとここに居た人たちは少ないから、残ったのは土方さんと一さんだけになった。
「…何故、このようなことを」
一さんは、静かに僕に問いかける。
「…ですから、新選組のー」
「他に」
遮られ、僕はパチクリと目を瞬かせた。
「他に何か、あるのではないか」
一さんの憂いを含んだ青い瞳が、僕を探るように光る。
相変わらず鋭い一さんの一言に、僕は小さく息を飲んだ。
