「はぁ、はぁ、はぁ……」
息が、乱れる。
足がもつれそうになりながら、私、麻木桃華はただ走っていた。
「待てーーっ!!」
追ってはまだ来るみたい。
もっと早く走らないと……!
重い羽織を脱ぎ捨てて身軽になった私は、足に力を込める。
……が、どうやら込めすぎたようで。
上手く均等を保てなくなった私の体は、前に大きく傾いた。
転ぶーーー
そう思った刹那、私の体は何か柔らかいものに倒れこむ。
「……痛……くない?」
「おっと、凄いお転婆さんだなあ。
大丈夫ですか?」
少し上の方から降ってきた声に顔を上げると。
月明かりに照らされて、やや影が強調される整った顔。
ふわふわとした茶色い髪の毛に、薄い唇、ぱっちりした目。色白な肌。
要するに、とてもとても綺麗なお顔が私を覗き込んでおりました……。
そっと、私を立たせてくださるその人。
立ち振る舞いは一つ一つが上品で、どことなく白梅を思わせる。
「うわあ、凄く可愛らしいお嬢さんですね。
こんな夜中にどうしたんです?危ないですよ。」
その声に、見惚れていた私はハッと目を覚ます。
「いけない!」
かなり大きな声が出てしまい、その人は驚いたように目を見開いた。
私の後ろから、徐々に聞こえる声と足音…。
「に、逃げてくださいっ…!」
そう言って走ろうとした瞬間。
「お嬢さんみたいなか弱い足だと危ないですよ。
んー、どうやら危ない人に追いかけられているようで。
僕に任してくれません?」
その人はニコリと笑うと、私の前へ進み出た。
追っての人に向かって、抜刀する。
「えっ……?」
そんな声を出した時には、もう全てが終わっていた。
地面には、脇腹を抑えて呻く追っての三人。
その人は抜いた刀をそっとしまい、いたずらっ子のように笑っている。
「ちょぉっと力が強すぎたかな?まあ、峰打ちですから安心してくださいね。」
おどけた風にそう言って、私に手を差し伸べたその人。
「僕は藤堂平助。もし良かったら、屯所まで来ませんか?」
普段なら、きっとのることのなかったであろうこの誘い。
でも、何故か私はその人の手に、自分の手を乗せていたんだ。
「さて、事情を聞かせてもらおうか。」
私を冷たく見下ろす、役者みたいに目鼻立ちがくっきりした方。
あの後とんしょ?だとかいうところに連れて行ってもらった私は、広間のようなところに通された。
そして、副長らしい方に今現在睨まれている。
少し、ひるむ。……けど、大きく息を吸って私は話し出した。
「…私は……少し、裕福な家に生まれました。
少なくとも、日々の生活には困らず、欲しいものはある程度手に入るくらいには…。
私は、お父様とお母様に愛されて、幸せでした。ーーーが、昨日突然政略結婚のようなものをさせられる話をされて。今日祝言をあげると言われたのですが、どうしても嫌で…逃げて来たんです。
そこで追っての方に追いかけられていたのですが、藤堂さんに助けていただきました。」
私の話に、副長さんは「なるほどな。」と小さく頷く。
しかし、その声色には疑いが混じったままであった。
「しっかし、逃げるほどか?何が嫌だったんだよ。」
「……だったんです。」
「あ?」
「その方、こし餡より粒餡派だったんです!」
部屋に響いた私の声は、ちゃんと副長さんの耳に入ったのだろうか。
思わずそう思ってしまうくらい、副長さんはぽかんとしていた。
「……そんなくだらねぇ理由で逃げて来たのか。」
「…そうですけど。」
くだらねぇ、という言葉に若干むっとしながら返す。
その途端、副長さんはしかめ面を解き、笑い出した。
「お前、面白えじゃねぇか。男装はできるか?」
「……やったことはないですが、問題はないかと。」
次の瞬間副長さんの口から出た言葉に、私は硬直した。
「ここに来ねえか?稽古ならつけてやる。どうせ家には帰り辛いんだろ?」
「……へ?」
ここに、来る?
稽古なら?
「…先ず、ここはどこでしょうか。」
「…」
私の言葉を聞き、今度は副長さんが固まった。
「お前それも知らなかったのか。」
「ええ…」
はあぁ……と大きなため息を吐き、副長さんは言い放つ。
「新選組だよ。ここは新選組の屯所だ。」
しんせんぐみ………。
「すみません、存じ上げません…」
……あれっ?
ふ、副長さんが隅っこへ……。
縮こまって座ってしまって……。
畳に「の」の字を……。
「そうだよな、俺たちはまだろくに名もあげてねぇんだよな……かと言ってこうハッキリ言われるとよ…」
ど、どうしよう……。
そう思っておろおろしていると、急に障子がスパーンっと開いた。
きょとん、とそちらを見ると、艶やかな黒髪を上の方で一つにまとめた人が立っていた。
「全く、それくらいでいじけないでくださいよ。
あ、自己紹介したほうがいいかな?
俺は沖田総司っていうんだ。覚えててくれる?」
「は、はい…」
おきた、そうじさん。
わざわざ覚えようとしなくても、その特徴的な登場の仕方で直ぐに覚えられそうだ。
「んで、君は?」
「え?」
「君の、名前。」
……あっ。
すっかり忘れていた。相手の名前を聞いたのなら、私も教えるべきだよね。
「麻木、桃華と申します。」
「とうかちゃん、か。よろしくね。」
「よろしくお願いします。」
ぺこり…と頭を下げると、沖田さんは大柄の体に似合わない微笑みを浮かべた。
「礼儀正しいね。」
「そんなことより!」
と、急にひょこっと顔を出した藤堂さんに私は内心飛び上がる。
沖田さんも驚いたように目をパチクリと瞬かせた。
「ここに来るんですか?僕としては大歓迎ですけど。」
ここに……来るか、来ないか。
家には物凄く戻りづらい。そもそも、直ぐに自分たちのために娘を嫁に出すよう人と一緒には居たくない。…少し、寂しいけど……。
「……よろしく、お願いします。」
「やったっ、決まりですね!」
私の返事ににっこり笑った藤堂さんは、早速私の手を引いて隣のお部屋に入っていく。
そこにはもう既に小さめな男物の着物と、結い紐などが置いてあった。
「僕、人の髪結ったりするの得意なんです!
先に髪を結っちゃいましょうね。」
「えっ…」
なんだかよくわからないけど、されるがままになる私。
私の頭を彩っていた簪や櫛が丁寧に畳に置かれるのは見えた。
「あ、前髪切っても良いですか?」
前髪?
ああ、私の前髪は長いから…。
別に家に戻っても支障はきたさないだろうし、私は頷いた。
「お願いします。」
「じゃあ遠慮なく♪」
………遠慮なく!?
ハッとしたときにはもう遅く、私の目の前に刃が映る。
器用に細かい動きをするそれは、恐怖で動けない私の前髪を程よい長さに切っていった。
「うん、良い感じ。あとは着替えるだけですよ。」
そう言って、藤堂さんはお部屋を出て行く。
私が動き出したのは、それから暫く経った後だった。
「良い感じですね。うん、男の子です!」
藤堂さんの言葉に、私は曖昧に頷いた。
藤堂さんはかなりの女顔…と言うのだろうか、華奢なのも相まって女の人に見える。
声は少し低いし、手も男の人のものだから男の人であることは間違いはないのだが。
そんな人に男の子、と言われても少し疑ってしまうのは仕方ないと思う。
「じゃあ、副長室に行きましょうか。」
私は手を引かれるがまま、歩き出した。
これから、どんな生活が始まるのか…わからない。
私にまともに剣術ができるとも思わない。
……精一杯、迷惑をかけないようにしよう。
もう上り始めた太陽に、私はそっと誓った。
