「平助さん!」
土方さんに怒られないよう静かに廊下を走りながら呼んだ私に、平助さんはゆっくりと振り返った。
「あ、桃華ちゃん。ただいま帰りました。」
「おかえりなさい!」
ふわふわした髪を揺らしながら微笑む平助さんは、何だか前よりも痩せた気がする。
「大丈夫ですか?向こうでちゃんと食べましたか?」
「食べましたよ?」
「へぇ…?」
疑わしそうな目で見やる私に、平助さんは「本当ですよ。」と笑った。
…よし、今日から少しでもたくさん食べてもらおう。そう小さく心に誓う。
「そういえば、新入隊士さんたくさんいらっしゃいましたね。よかったです。」
「えへへっ、僕のおかげなんですよ?」
「はい!凄いです…!」
平助さんは、少しだけぽかんと口を開けた。
…あれ?私変なこと言ったかな…?
「…あははっ、桃華ちゃんのそういう純粋なところ好きですよ。」
平助さんが笑いながら言った言葉がよく分からなくて、
「へ?」
と聞き返す。
「ああいえ、こちらの話です。
じゃあ僕、土方さんに報告とかしてきますね。」
「あ、はい!」
平助さんはスタスタと副長室に歩いて行った。
なんだったのかな…?
ちょっと首を傾げながら立ち尽くす。
と、不意に突き当たりの方へぐいと手を引っ張られた。
「!?」
驚いてそちらの方を向くと、しゃがみ込んだ凛君が不機嫌そうにこちらを見ている。
「……平ちゃんがいる方が楽しそうだね。」
「え?…うん、人数が多いし楽しいよ。」
「〜〜!そうじゃなくって…!」
歯をギリッと噛みながら、上目遣いに睨みつけてきた凛君に、少し戸惑いを覚えた。
「どうしたの凛君?」
そっと聞くと、凛君の両手が私の顔の横を通って壁をダンッと大きく鳴らした。
音に驚いて、そのまま動けなくなる。
「…っ!」
足が震えた。
いつもと明らかに様子が違う凛君に、まず感じたのは恐怖だった。
「…ボクのことだけを見ていてくださいよ。なんで?なんで平ちゃんなんですか?ボクの方が遅かったから?ボクがここの人間じゃないから?壁ドンは好みじゃないですか?」
「何…どうしたの……?凛君、怖いよ……」
凛君はいつにない空気をまとわせている。
私が震える声で問いかけても、返事はなかった。
凛君の気持ちはわからない。
どうしたんだろう。どうすればいいだんろう。
凛君は不意に立ち上がる。
「それで、ですね?」
その手には、いつの間にか私の短刀が持たれていた。
「ボクが桃華ちゃんを殺して、ボクもあとから死ねばいいんじゃないかなって思ったんです。」
「ーっ!」
そう語る瞳が、嘘ではないと言っているような気がして。
助けを求めようにも、声は出なかった。
私を狙った短刀が降りかかってくるのを、見ることしかできない。
ーーそんなとき。
「何をしているんだ?」
廊下の方から声が聞こえてきた。
斎藤さん…?
「………………えへへっ、冗談だよ。桃華ちゃんはこういう人に狙われやすいんだから気をつけてね?」
「へっ…?」
急にパッと表情を変えた凛君に、間抜けな声を出す。
冗談?狙われやすい?
私の手に、あの短刀が渡された。
言われた内容を理解した途端、安堵の溜息が口から漏れる。
「良かった……凛君が変わっちゃったのかと思った…………」
「…本当、純粋だなあ…」
「?何か言った?」
「ううん、何も。」
凛君は少しだけ早口で言うと、廊下の方を向いた。
「一君ですかー?」
「ああ……何をしているんだ?」
「ボクがバランス…体制を崩して転んじゃったんです。そしたら丁度桃華ちゃんが…」
「……聞いといてなんだが、何をしているんだ…」
斎藤さんは呆れたような顔をする。
私は凛君の発言に驚いて、チラリと横目で凛君を見た。
凛君は私の視線に気づいたのか、同じく視線を合わせてきた。
「しーっ」
小声で言いながら人差し指を口にあてる。
いたずらっ子のような笑顔。
「じゃ、ボクはそろそろ行きますね。」
「……何もないようなら良い。僕も巡察の準備をしてくる。」
「僕?」
「……俺だ!!!」
いつも通りのやりとりをしている二人に、つい笑顔が浮かんだ。
「…ふふっ。」
そんな私を少し驚いたように見てから、二人もへにゃりと微笑んだ。
本当、そっくりな顔だなあ…。
「はーあ、あんなに鈍感じゃあ、困っちゃうなあ………」
歩きながら、一ノ瀬凛は小さくつぶやく。
「………桃華ちゃんに似合うのは、このボクだけだよね…?」
その目は、狂気に染まっていた。
